日本社会をむしばむ「事なかれ主義」という許されざる功罪とは、何か?

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今日は、日本がますます「泥舟」になって行っている根本的な元凶の1つである「事なかれ主義」について、日本の歴史も交えてながら話をしましょう。

「事なかれ主義」とは? – 物事に対し、波風が立たないように対応すること。事なかれ主義の人は、争いや紛争、喧嘩ごとを嫌い、何よりも平穏なことを優先する

一見、ポジティブなトーンで聞こえますね。波風立たせずに、平和的な解決策を常に考えると。日本の歴史とは、この連続であったと言っていい。例えば、日露戦争後の日本。本当にギリギリで勝った戦いだった。あと、3ヶ月でも戦争が長引けば国家経済が破綻しかねない、そのような状況でなんとか得た辛勝だった。だから、当時のリーダーたちは、明治天皇をはじめ、精魂尽き果て、その後、みなまもなくしてこの世を去っていく。しかし、国民は全然、その深刻さを真剣に受け止めようとしなかった。欧米列強の支配を排除した日本人は、世界で優秀なのだ。俺たち・私たちはすごいんだと。そして、この大衆心理がやがて、太平洋戦争時代の日本人の精神的支柱になる愚かな「神民思想」を生んでいく。

生前に明治天皇が、何度も、図に乗る国民を諌める勅旨を出しているが、効果が出なかった。本来、日本は、日露戦争後に、不平等条約の改正だけでなく、スイス同様に、欧米列強と不戦条約を結んで、永世中立国化すると言う選択肢があった。もし、その選択肢をとれば、日本は、アジアの「スイス」として、アジアの平和秩序に大変な貢献ができたでしょう。これが僕の歴史観だ。日本の名門大学の多くの歴史学者は、ただ、過去の空想に吹けるばかりで、そこから得た教訓を現代社会に活かすための政策提言をする頭脳と胆力を持った人材は皆無である。

しかし、進んだ方向は正にこれとは真逆だった。図に乗る国民たちと、それに迎合する愚かな政財界のリーダー達は、まともな工業力もないのに、欧米列強と肩を並べようとそのまま帝国主義を推し進めた。その結果が、太平洋戦争なんですね。「事なかれ主義」の1つです。成功したにせよ失敗したにせよ、そこの経緯と結果を冷静に受け止めて、正すべきところを正す。ウヤムヤなままにしない。日本人の多くは、これをウヤムヤなままにする。「まあ、上手くいったんだからよかったじゃないか。」「まあ、色々あったけど、なんとかなっているんだから、いいじゃないか」「誰が悪かった訳でもない。上手く行ったときはみんなが正しいし、失敗した時はみんなが悪かったんだ」と。これが、事なかれ主義者に多い言葉ですね。すぐに、情に流され、断固たる行動を取ることができない。

結果、万事、問題はなかったかのようにしてしまうことで、本来、各々が反省すべき点や正しい点が、見えずらくなってしまい、本質的な問題点を追求していく姿勢が社会全体から失われていく。それは、その時点で、しっかりと正そうとする行為が、非常に勇気がいる行為であり、確実に波風を立てることになるからだ。多くの日本人は、その言動をすると、自分が周りの人から嫌われてしまう、自分の立場がなくなってしまうかもしれない、と恐れて、ウヤムヤなままにする。

戦後の日本は、正にこれで、基本的には、戦前と全く同じことをやっていました。要するに、官僚が絶対的な権力で、全てを決める。これに逆らうものは、絶対に許されない。彼らが、打ち出したアメリカに経済的にリベンジするための「東京一極集中社会・正社員の優遇・マイホーム・終身雇用」の戦略に沿って、日本経済は再生していった。戦前のように従わない国民を徹底的に非国民として弾圧する「大政翼賛会」など、あからさまな運動を官僚が仕掛けることは当然、日本が再び右傾化することを警戒する世界の警察国家の役割も果たすアメリカ政府が許すわけもないのでやらないが、裏では全く同じことを当時の官僚はやっていた。例えば、文科省が見ている小学校のPTAなどがそうだ。PTAを通じて「正社員の優遇・マイホーム・終身雇用」の教育が家庭の母親に行われ、そして、それが子供へと伝わった。つまり、社会的慣習として根付かせる作戦を展開したわけだ。そうして、やがて、日本社会からは、自由が失われていっていたが当時の国民は全くそんなことには気づかなかった。なぜなら、「事なかれ主義」だから。

当時に大半の日本人は、敗戦による経済的な貧しさから解放されることに快感を覚え、戦前と日本の政治経済が根本的に変わっていないことなど気にも止めなかった。戦前の政治経済体制の何が、自分たちを狂わせ、太平洋戦争に走らせたのか?根本的に反省する心構えが全くなかった。1:20の工業力格差のある当時のアメリカに正面から挑むなど、正気の沙汰とは思えないことを仕出かしたにも関わらず、問題を問い詰めることを後回しにして、「とりあえず」ということで、経済的に豊かになることに浮かれていった日本人。

日本が太平洋戦争をしてしまったから、朝鮮の南北問題が生まれ、中国の共産主義化による東南アジアの東西冷戦構造の局地戦で起きたカンボジアのポルポト派による100万人大虐殺、台湾問題など、極東問題や東南アジアの政治経済の不安定な要素の多くが生まれたという猛省すべき歴史観をほとんどの日本人が持っていない(この点は、「こちらの記事」にまとめています)。実に「事なかれ主義」ですね。

そして、その結果、バブル経済が崩壊した後、とうとう、社会がいきずまり始める。平成の「失われた30年」の根幹にある「夢ない、欲ない、やる気ない」社会の背景は、過去100年以上もこの「事なかれ主義」を続けた蓄積の象徴であり、問題が複雑化してしまい、権力構造も多岐にわたり、アメリカが得意とする「創造的破壊」と言う行為を社会に機能させる隙間が一切なくなってしまうのである。日本の歴史上、この「創造的破壊」をやり遂げた人傑は二人しかいない。織田信長と明治天皇である。日本を統一するため、旧勢力を徹底的に破壊した信長の行為は、当時も今も「鬼」のように描かれることが多いのですが、それは、日本人の多くが、「事なかれ主義者」だからです。その点は、「こちらの記事」に詳しくまとめています。

僕が、東京で10年以上、ベンチャー業界に関わってきた痛切に感じた点はここだ。GoogleやFacebookを生み出すような社会の隙間が一切ないほど、日本の社会は、がんじがらめになってしまっている(その点は、「こちらの記事」にまとめています)。その1つ1つを紐解こうとしても、何十年もかけてそのヒモとヒモの縄目が作られてきているがゆえ、容易に解くことができない。解いているうちに、年を取って、自分が、老害化してしまう。今の日本の「団塊の世代」はまさにその典型例だ。かつては、安保闘争などをやっていた連中が、今度は、彼ら自身が老害化している。官僚が、自分の出世のための点数稼ぎも含めて、市場経済の、そして、社会のあらゆる所に過保護な法律を作って規制している現状は、その極みと言える。とにかく、「自由」がない。ジョージ・オーウェルの「1984」に描かれているビック・ブラザーとは、正に、日本だなと思うのである。

にも関わらず、1:30と言う太平洋戦争のときよりも更に大きな格差が、日本とアメリカのベンチャーに流れるリスクマネーの格差が存在しているにも関わらず(その点は「こちらの記事」にまとめています)、シリコンバレーのコピー事業を彼らの数年遅れで作って、「すごい!」と喜んでいる。これも「事なかれ主義」ですね。根本的な問題にメスを入れる気がない。セコイヤキャピタルをはじめシリコンバレーの有力VCは、アジアに支店を持っている。上海やインドは当然のことながら、インドネシアのメルカリに相当するトコペディアに出資もしている。事業規模では、トコペディアはメルカリより大きいです。しかし、彼らのアジアの投資戦略の中に明確な方針があり、それは「日本を除く」である。彼らは分かっているのである。ベンチャー投資の哲学は「不確実性への投資」である。とんでもない会社になるかもしれないそう言うプロジェクトに投資する。日本の社会のように、人口も減っており、規制でがんじがらめの市場からには、「高い不確実性がないこと」を彼らは理解している。だから、日本市場だけが、投資対象から除外される。最近、とみに思うが、自分の持ち物の中から、Made in Japanがどんどん減って行っているのは、その証拠と言える。世界中から新しいベンチャーが優れた製品を出してきているので、日本製品の魅力がどんどん薄れているのだ。

そのような事実を全て理解した上で、僕は、「奇策中の奇策」として、最後の望みをブロックチェーン産業に託したが、日本におけるこの奇跡は四年しか続かなかった(その点は、「こちらの記事」にまとめています。)。なぜなら、これが自分たちに残された唯一のチャンスであると言うことを、ほとんどの人が理解していなかったからだ。実に盲目的と言える。「馬の耳に念仏」と言う言葉が正にそこに当てはまる。

要するに、社会の中に、過去のしがらみにとらわれず、新たな未来を生み出していくための「創造的破壊」ができる「自由な余地」を残して置かないと、人は、どんどん盲目的になり、白痴化し、今の「東京」のようになっていくのである。

今の日本人にとって、この「因果応報」は、とてつもなく重いと言える。長年、「事なかれ主義」を続けてきた大いなる代償である。僕は、映画「天気の子」に、そのメッセージを観た。そう、森嶋帆高と須賀圭介のやりとり、そして、水没していく「東京」である。一流のクリエーターには、やはり「直感的」に見えているということだ。

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