日本社会が、天才を潰し、無能を量産する「減点主義」という社会的慣習とは何か?

日本社会は、よく「出る杭は打たれる」と言われるが、一部のエリートが、奇想天外な天才肌の人材を潰しているだけだ、と考えている人も多いと思いますが、僕は全く思わないのですね。日本社会全体がそうです。その理由について、今日は、掘り下げて話をしたいと思います。

日本人の至る所に根ずく「減点主義」という、天才を殺す習慣

アメリカ社会では、よく天才肌の起業家や科学者に多い「アスペルガー症候群」という病気がありますが、この病名を与えていることが、実は、彼ら自身を救っているのですね。なぜか?

From Wikipedia – ICD-10におけるアスペルガー症候群(アスペルガーしょうこうぐん、Asperger Syndrome)、DSM-IVにおけるアスペルガー障害(Asperger disorder)とは、コミュニケーションや興味について特異性が認められるものの言語発達は良好な、先天的なヒトの発達における障害。2013年のDSM-5、およびのちのICD-11では、本診名はなく自閉症スペクトラム障害の中に位置づけられる。 日本ではアスペと略されることもある。

特定の分野への強いこだわりを示し、運動機能の軽度な障害が見られることもある。自閉症スペクトラム障害のうち知的障害および言語障害をともなわないグループを言う。DSM-IVへのアスペルガー障害の診断の追加は過剰な診断の流行をもたらした。発生原因は不明。特異性や特徴に該当する部分が多いことに気づいて不安感を持った本人が、医療機関に相談したときに診断されたことを本人自身が受け入れた事例のみである。効果が示されたと広く支持される治療法はない。放っておくとうつ病や強迫性障害といった二次障害になることがあるとの指摘もある。

単なる変人扱いされなくなるからです。特に、「ひょっとしたらアイツは、化けるかもしれん」という、むしろポジティブな可能性の方から見てくれる人もたくさんいる。

しかし、日本には、これは全くと言っていいほどないですね。僕もよく経験があるのですが、ちょっとした日本語の言葉遣いの間違いに対して、いちいち細かく指摘してくる日本人が大量にいます。「そういう日本語はない」など。僕も両親も相当にこの類の人物です。今でもよく覚えていますが、メールなどで変換ミスの内容で送ると、「いまだにまともに日本語も使えないのか!」・「だから、子供のときに、あれだけしっかり勉強しておけと言ったのだ!」とものすごい批判の長文が返ってきます。ところが、本人とLINEなどでやりとりすると、誤字脱字だらけでもはや何が書いてあるのかわからない。。。笑

年寄りだから、頭が硬くなっており、同じことしか言えない、または、新しいものは慣れていないので上手く使えないから、間違っても仕方がないというのは、完全に「事なかれ主義者」の言動です。

エリート社会も完璧にそうで、OrbのCTOが東大のコンピュターサイエンス学科の某有名研究室出身だったのですが、指導教授から、徹底的にバカにされたのが、論文作成における「日本語の使い方」だったよう。これで、彼は、相当、自信を失ったようで、その後、這い上がって博士号は取りましたが、厳しい表現をすると、その期間を通じて、彼の脳みそは完全に「普通の人」の頭になってしまいました。付き合いが長いのでよく知っているのですが、東大に入る前の方がクリエイティブでした。しかし、彼は全然、奇抜な発想ができなくなってしまった。僕が意図的かつ強力なリクルーティング力で、開発チームの80%以上を、外国人にすることで、チーム思考に柔軟性と拡張性を与え、Orb DLTはかなり革新的なソフトウェアにすることができましたが、日本人チームだけだったら、何の独創性もない既存のブロックチェーンのコピーソフトしか作れなかったでしょう。その点は、「こちらの記事」にまとめています。

これは、別に彼に限った話ではなく、ほとんどの日本人に見受けられることです。そうやって、日本社会の中で、「優秀」という評価を受けている「普通の脳みそ」の人物が、世界では、平均以下レベルになっていく傾向が、平成の失われた30年の中で、ずっと続いている。しかし、驚くべきことは、本人達にその自覚が全くない。相変わらず、日本人同士で、「自分たちは万能で優秀だ」と言い合っている。

天才肌の人物からしたら、いくらユニークで、革新的な発想をしても、言葉遣いや、日本人の中における「常識」が当たり前のように実践できていないと、周りの日本人から、いちいち細かく批判される。つまり、彼らからしたら、毎日、ストレスが溜まってしようがないわけですね。しかも、当然、そのような人物が、周りの日本人から見出してもらえることなど当然ない。なぜか? 彼らにとって、「頭のいい人」の定義が、正しい日本語が使えて、日本人の常識を100%行うことができる人物だからです。

そうして、更に人口が減っていくのだから、ますます、日本という小さい社会の中でしか評価されない人間だけになっていく。実に悲しいですね。

こうやって、日本社会の中では、アメリカ社会などであれば花ひらくであろう優秀な人材を子供のときから抹殺している。親が殺し、学校が殺し、そして、社会が殺す。これは、歴史的に証明されていることで、その点は「こちらの記事」にまとめています。

この結果、どうなるか?現代のようにイノベーションが、産業を育て、雇用を生む社会においては、日本は、どんどん没落していくわけですね。なぜなら、全くの逆のアメリカ社会を見れば、わかる通りです。

アメリカの時価総額Top10の会社の大半は、「アスペルガー症候群」の起業家によって作られた会社

ということです。このブログに出てくる世界の株式時価総額ランキングを見れば一目瞭然です。アップルを作ったスティーブ・ジョブズ、マイクロ・ソフトを作ったビル・ゲイツ、アマゾンを作ったジェフ・ペゾス、フェイスブックを作ったマーク・ザッカーバーグ、そして、Google(アルファベット)を作ったラリー・ページなど、みな、「アスペルガー症候群」と言われている起業家たちです。子供の頃は、その奇人的な振る舞いが原因で、イジメを受けたこともある。ただ、みな精神力がタフなので、そこを乗り越えて文明社会を前に進めた。

参照リンク:https://bit.ly/2ri0xl3

バークシャー・ハサウェイを経営するウォーレン・バフェット氏も、彼らほどではないですが、自伝を読むとやはりちょっと一般からはかなりズレた人物だったことがわかります。彼の自伝は、よく考えられて書かれており、示唆と喜怒哀楽に富み、読んでいてとても面白いです。一読を勧めます。

アメリカ人の親しい友人と、言葉の話になったときに、優秀なやつほど、相手の英語の言葉遣いについて細かく避難してくることはありません。「僕でも、スペルは間違うことはある。母国語ではない君が正しく話せないのは当然。」という具合です。年配の人などでも、気の利いた表現などを教えてくれる人もいます。とかく、人に対して寛容なのですね。だからこそ、彼らは「多様性」のマネジメントが強い。

一方、日本人は、他人に対して「こうあるべき。こうすべき。なんで、こうでないの?」という見方ばかりをする。要するに、その条件が満たっていない人間に対して、ひたすら「減点する」考えしか思い浮かばない。こういう人間ばかりが、大半を締める社会というのは、どんどん、詰まらない・息苦しい社会になるので、衰退していくわけですね。

要するに、日本人は、自ら首を締めて「茹でガエル」になっているということ

というのが僕の結論です。先に述べた「こうあるべき。こうすべき。なんで、こうでないの?」というのは、日本人の働き方の感覚にも常にある。「自由」であることは、暗黙的に悪であるという教育を受け、毎朝決まった時間に出勤することや、決まった時間にランチを食べることや、みんなと同じ服装をすることや、みんな一斉に同じ株を買うことや、一億総玉砕で、一斉に竹槍で戦車に突撃するなど。僕から見れば、最後の点も含めて、全て同じです。要するに、「事なかれ主義者」だらけで「普通の脳みそ」ばかりの人が大量の社会というのは、付和雷同(自分に決まった考えがなく、他人の意見に軽々しく従うこと)を起こしやすいということです。

究極的に、日本人は、歴史的に、社会から多様性を排除していくことで、「平和」を作り出そうとして完全に失敗している。社会を構成する人間の同一性を上げていけば、価値観が似通ってくるので、為政者から見ても、国民からみても、秩序を安定させることは、圧倒的に楽です。なぜなら、「不和」が生じにくくなるからですね。

しかし、それによって、社会の中から、ダイナミズムがなくなり、文明社会を前に進める力は失われ、どんどん社会は衰退していき、ただただ息苦しい社会になっていく。いわゆる文明社会における「退行」を引き起こしていくわけです。その結果が、「今の日本」です。もちろん、この中心は、戦後官僚が作り上げた一極集中の「東京」にありますが、これは別に東京に限った話ではなく、もはや日本全体に共通していることです。

この思考レベルで、日本社会を捉えることができている日本人は皆無と言っていいでしょう。だから、日本社会の中には、いまだに「多様性」が育ってこないのです。外の世界は、多様性をベースにした新しい文明社会への移行がどんどん進んでいますが、日本人はあいも変わらず、同じ穴のムジナで、井戸の中の蛙で、平和憲法と日米同盟に守られて、世間知らずのどんどん「茹でガエル」になっているということです。

なぜ、「茹でガエル」なのか?それは、自分たちの社会が、実は、「ポイント・オブ・ノー・リターン」をとっくに超えてしまっていることに気づいていないから。この衰退にはもはや歯止めは効かない。なので、最後の仁義を切って、2014年から2018年の間に日本の仮想通貨・ブロックチェーン産業を世界最先端の水準まで持っていた僕は、もはや、その復活の可能性がないことを知っているので、東京を去るのです。

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