日本人が、再び日本を輝かしたければ、自分たちを「マイノリティ化」するしかない。

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というのが、僕の結論です。

日本社会から生まれてくるイノベーションの全てが「ガラパゴス化」する理由は、社会に「多様性」がないから

なんどもこのブログでは指摘していることですね。20世紀の科学は「専門化」が中心の時代でしたから、日本人のような専門領域に職人的な気質を持った人材からイノベーションを生み出すことができましたが、20世紀後半に入り、そして、21世紀に入って、「統合化」が中心になっているため、科学の世界では、Interdisipilinary=「分野横断」の手法がイノベーションが生まれる源泉となっている。これは、テクノロジーの世界も同じです。iPhoneが起こしたイノベーションは、個々のテクノロジー自体に革新性はなく、全体的に統合されたプロダクトとしての革新性があります。

この一つの社会における現れ方が、「多様性」です。色々な文化や価値観を持った人々が、その社会で、自由に発言ができ、活躍できる場があるから、世界に受け入れられるイノベーションがその社会から生まれていく。日本人しかいない社会では、日本人ウケするものしか生まれてこない。これが、「ガラパゴス化」の最大の原因だ。

日本で、唯一、意図的にその多様性を作り出し社会インフラレベルに育ってきているのは、今、僕がいるOIST(沖縄科学技術大学院大学)のみである。管理部に多様性を維持することをミッションにおいたチームが編成され、日本人は完全にマイノリティです。僕にとって、この環境は実に居心地がいい。なぜなら、完全に出る杭タイプの僕の意見が、日本社会特有の「同調圧」で潰されることが絶対にないからだ。

しかし、違うこともある。管理部には、アホの文科省からの出向者が多く、もちろん彼らは日本人である。この間、OIST内で日本人ばかりのあるミーティングで、OISTの産学連携を進めいく点に関して議論を進めていく中で、ある日本人から「なぜ、シャープのザウルスは、iPhoneになれなかったか」という発言がでた。

そして、その後、別の同じミーティングで、この日本人は、僕が出した意見に対して「あなたは、起業家だからビジョンで率いていくのが当然だから、我々はそうでない」という、まさに典型的な日本人発言を言っていた。

この発言を聞いたとき、真っ先に僕が心の中で思ったことは「お前のような日本人が管理職にいるから、iPhoneが生まれてこないのだよ」と思った。当たり前のことですね。世の中、舐めているのかと。

僕が率いたOrbが、世界初のリニアスケーラビリティを持ったOrb DLTという分散型台帳技術を開発仕切ることができたのは、僕がチームに意図的に多様性を生み出したからだ確信している。開発チームの80%以上は、非日本人で構成し、アップルや、シリコンバレーのテックベンチャー、スタンフォード大学、インドのIITボンベイ校の出身者など、シリコンバレーのトップクラスのテックベンチャーが当たり前のように揃えてくるレベルの人材を、僕の強烈なリクルーティング力でリードして組成したチームだからこそなし得たこと。

そのような努力の結晶も理解できない、サラリーマン風情の社内政治しかする脳のない連中と革新的な思考が全くできない暗記魔の高学歴のエスタブリッシュメントの日本人たちが、iPhoneの種を日本社会から潰しているのが、今の日本の現状だ。スティーブ・ジョブズが日本で起業しても、決して、iPhoneを育てることはできないし、イーロン・マスクが日本で起業しても、テスラを育てることはできない。全て、彼らがもっと小さい段階から、日本人ばかりの社会がもつ同調圧によって、「出る杭」と見なされ潰されてしまうからである。

今の日本社会を支配する日本人たちは、自分たちの地位を捨てる度胸があるか

ということになるわけです。日本社会を多様化させるということは、まさに、今の日本の政財界やメディア界をリードしている人々の中で、日本人がマイノリティ化するということ。

日本の企業界のトップに、アメリカ人や、インド人、中国人などがリーダーとして立つことを受け入れるということ。政治家も同じ。アメリカの政財界を見れば明らかだ。メキシコ移民が増えてきたから、メキシコ移民の政治家が米政界に入ってくるし、シリコンバレーのIT企業では、インド人幹部が当たり前のようにいる。最近は、女性やアフリカ系アメリカ人がテック起業家として成功できるかなどが、シリコンバレーのホットなテーマの一つになっている。

多様性のマネジメントは、日本人にはできない

なぜ、僕が、日本人のリーダー達が、日本社会から消えるべきだと考えているかと言えばは、単一民族の合意形成にどっぷりつかってきた日本人には、多様性のマネジメントが決してできないと判断しているからだ。自分も含めてこれをやり遂げる器量を持った日本人リーダーもいるが、結論、超少数派と言える。多様性のマネジメントは、合意形成に、単一民族の場合と比較して圧倒的なほど手間がかかる。わかりやすくいえば、合意形成に超高度な頭脳プレイを必要とする。もっとも強力な武器は、「論理性」である。論理性は客観性を追求するため、多様な文化や価値観から出てくる様々な意見より反論余地が生まれないからだ。つまり、論理的な完璧性を追求するアイデアや解決策を提示することが、リーダーに求められる。今の日本のように単一民族の同調主義の中で、「うちの社長はすごい。なんとなく、あの人の言っていることに従おう」という合意形成モデルに慣れきっている今の日本人のリーダー達は、多様性の社会では全く通用しない。これは、現に、Orbで多様性のあるチームを作り上げ、成功した体験がある僕にはあるので200億パーセント確信して言える。

この現実から逃げているリーダーは、常に、自分の周りに日本人を並べて、事業を遂行する。すぐに自分の言うことを聞いてくれるから。現に日本企業の幹部構成は大半日本人男性である。だから、iPhoneに繋がるような世界に通用する確信的な発想を持ったアイデアは、単一民族の同調圧によって、つまるところ、その社内政治によって潰されていく。ただ、日本はまだ1億人レベルの市場からあるので、別に世界に通用するiPhoneを生み出せずとも、日本社会の中で、人が羨むレベルの成功を収めることは十分できる。つまり、「別にiPhone生み出さなくなって、ええがな」となる。それで、現時点でGDP世界3位市場で、一生贅沢ができる金が手に入るのだから。こうして、日本社会では、いまだに「多様性」を構築していくための危機感が生まれずに、ダラダラと物事が進み、技術的に何の革新性もない、猿でもできる普通の事業に、人口1億人市場に対する、数千億円から数兆円そこそこの売り上げと、数百円レベルの利益がついて、本人も周囲も、めでたしめでたしとなる。大半の企業経営者も売上と利益自慢しかせず、自分たちが以下の世界文明の進歩に貢献しているかという点は話をしない。当然だ。全く貢献していないのだから。結果、肝心の破壊的なテクノロジーを伴う世界展開可能な事業は、全て、アメリカ、中国、インドのプレイヤーに持って行かれる。彼らは海外市場に出た瞬間、彼らと競争することになるため、毎度、ボコボコにされる。

僕は、この現象を「茹でガエル」と呼んでいる。当然だ。世界の競合が、多様性のマネジメントをやりきることで、世界に通用するテクノロジーと事業を作り出し、何十兆円という売り上げと何兆円という利益を出して、日本プレイヤーが世界では全く歯が立たない状態を顕在化させているのだから。この言葉は、「井戸の中の蛙」にかけたもので、ある程度の国内市場があるが故に、その成功で十分満足してしまうわけだ。人口が800万しかおらず、周囲の国家と外交的に孤立しがちなイスラエルや、人口が減り続ける北欧社会は異なる。これと同質のことは、日本が世界で勝てないスポーツほど顕著だ。日本のラグビーは世界のトップからは程遠いが強くなってきたのは、リーダーも含めて多様性を取り入れているから。弱小の存在ほど、存命の危機感が強くなるのは、生命として当然の作用だ。しかし、彼らがもつ危機感は、今の日本人には全くと言っていいほど必要ない。まだ追い詰められていないから。しかし、10年後や20年後には、これが強烈なジャブのように効いて、社会全体を衰退させていく。その兆候は、「公務員が就職希望先No.1」と若者の社会への期待値となって明示的に現れつつある。今の支配的なリーダー達に歯向かうと、自分たちの生存が危うくなると察知しているからだ。これもまた生命として当然の反応と言える。しかし、まだ追い詰められていないので、香港の若者のように牙を向くよりは、大人が作り上げたシステムに迎合する方がマシだと考えて、一生安泰であろう「公務員でOK」という結論に至る。

明治維新は、支配階級である武士が自らを否定することで実現した革命であったが、今の日本人リーダー達にその根性はない

幕末・明治の武士には、この危機感と根性があった。だから、彼らは自ら支配階級であったにも関わらず、その地位を捨てて、日本が欧米列強に植民化されない道を選んだ。それだけの自己犠牲精神が、当時の武士階級の多くに存在したわけだ。武士道の精神の核には、自己犠牲精神がある。当然、これに反発するレベルの低い武士もいたことは間違いない。しかし、彼らはマイノリティであったからこそ、明治維新は成し遂げられた。しかし、今はどうだろう。全く逆だ。自らの支配的地位を維持したいと思う日本人ばかりだ。現に、日本の仮想通貨・ブロックチェーン業界をゼロから立ち上げてきた際に、日本の様々な政財界のリーダーたちと仕事をして、このことを僕は痛感した。つくづく思うが、今の日本人に、「侍」はゼロだと常々思う。いなくなってしまった。彼らが、戦国や明治の人傑を引き出しながらリーダー論などを語っているのを聞いていると、無性に腹が立ってくる。当の本人に、命を賭ける度胸もなければ、いざとなったら、切腹する根性もない分際で、リーダーとは云々と実にしようもない持論をぬかしているからだ。だから、現に、今の日本では、女性や外国人も含めて、日本社会に超えるマイノリティ達が、活躍していく場がいまだにロクに与えられない。彼らが、今の自分たちの支配的な地位を手放す気がないのだから当然だ。

自己犠牲精神について、深く理解したい人は、「こちらの記事」が参考になるでしょう。マズローの欲求段階説についてです。

大して頭もよくない、何のクリエイティビティも要求されない丸暗記の単純作業だけのショボい受験勉強で高学歴を手に入れてきた日本人男性たちが、口先で多様性が重要だなどと叫びながら、結局、自らの支配的な地位を捨てることはせず、己の名誉欲と贅沢するための小銭稼ぎのために、日本の「茹でガエル」化は、着実に進行していっている。

僕は、そこに心底、愛想が尽きたので、OISTが最後のプロジェクトということです。現に、OISTは、非日本人率70%以上をキープし、世界的な科学雑誌ネイチャーの研究機関ランキング「Nature Index」で東大の30位を大きく突き放して、世界ランク9位に入っているからです。「失われた30年」における唯一の成果と言えます。他は全て税金の無駄遣いであったと言えます。OISTの本件のプレスは「こちら」です。論より証拠ということです。

以上、みなさんの参考になれば幸いです。

 

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