ゴーン事件と日本の司法制度の歪みから見えてくるDAOの重要性とは何か?

NEW DELHI/INDIA, 08NOV09 – Co-Chair Carlos Ghosn. Participants captured during the World Economic Forum’s India Economic Summit 2009 held in New Delhi, 8-10 November 2009.
Copyright (cc-by-sa) © World Economic Forum (www.weforum.org/Photo Matthew Jordaan matthew.jordaan@inl.co.za)

ゴーン事件は、日本の歪んだ司法制度を、世界のメディアに晒す事件となってしまいました。しかし、僕の目から見ると、別にこれは、歴史上、数千年と続いてきたことであり、今更感があります。むしろ、ブロックチェーンにおけるDAO(非中央集権型組織)を実現していく上で、確実に注意しなければならない「排他性」の問題を多くの人々に、より深く教えてくれるキッカケになった事件と捉えています。その点について、今日は、深く掘り上げて話をしていきます。

このブログは、僕のシリコンバレーでの起業時代からの付き合いで、仮想通貨・ブロックチェーン業界を一緒に立ち上げてきた増島さんが書いたこちらの記事に刺激を受けて書いたものです。

司法制度における完全は三権分立は可能なのか?

答えは全く不可能です。

まずは、基本的なおさらいからです。小学校の教科書で習う話です。

From Wikipedia  – 権力分立(けんりょくぶんりつ、けんりょくぶんりゅう、英:separation of powers)とは、権力が単一の機関に集中することによる権利の濫用を抑止し、権力の区別・分離と各権力相互間の抑制・均衡を図ることで、国民の権利・自由の確保を保障しようとするシステムである。対義語は権力集中。なお、権力分立の典型例としては立法・行政・司法の三権分立(さんけんぶんりつ、さんけんぶんりゅう)が挙げられるが、地方自治制など他の政治制度にも権力分立原理はみられる)。権力分立は国家全体についてみると、まず、中央と地方との権限分配がなされ(垂直的分立)、ついで中央・地方でそれぞれ水平的に分配されることになり(水平的分立)、中央では立法・行政・司法の三権に水平的に分配されていることになる。

今回の事件で最も関わっているのは、「立法・行政・司法」です。17世紀にイギリス・フランスに出たジョン・ロックやモンテキューらの理論を土台にしており、民主主義国家運営の土台である三権分立の基本です。

  • 立法:法律を策定する機関。日本であれば国会が相当する。
  • 行政:立法で定められた法律に従い、それを執行する機関。日本であれば、各省庁が相当する。地方自治体もここに入る。
  • 司法:決められた法律に対して違反したかどうかを公明正大に裁く機関。裁判所のことです。

この3つは、完全に独立したものであらなければならない。これが、3権分立の原則です。なぜなら、ロックらが現れる前のヨーロッパ諸国は、「絶対王政」が続いていた世の中で、王様に3つの権力が全て集中していました。だから、王様のサジ加減で、不当に投獄される人がたくさんいた。

この問題を未然に防ぐために、権力が少数の人間に集中しない仕組みとして考案されたのが、この三権分立の考え方です。

しかし、日本の司法制度は、残念ながら、これが本質的には遵守されていません。この概念を発明したフランスやイギリス、または自治意識の高いスイスなどでは、かなり正常に機能している方と言われています。アメリカも、元々、イギリスの帝国主義的支配から自立することが国家のスタートラインにあったため、リベラルな思想がそのルーツにしっかりと組み込まれており、かなり守られている方です。それでも機能していない時はある。しかし、彼らの場合は、ジャーナリズムが政府の暴走を食い止めるパワーがあるので、浄化作用が社会の中にありますが、日本は、このジャーナリズムが恐ろしく弱いので、この司法制度の歪みを是正するエネルギーが、彼らほど強力には生まれてこない。例えば、エドワード・スノーデンは、アメリカが監視政府になってしまっている実態を英ガーディアン誌で暴露しましたが、日本に、そもそも、それほどの根性のあるジャーナリズム道を貫くメディアは実質的に存在していません。なので、今回のゴーン事件がトリガーとなって、日本の司法制度の歪みをジャーナリズム道を貫ける「海外メディア」が叩くことはよいことだと僕は考えています。ただ、ここで理解しておくべきは、エドワード・スノーデンの場合も彼が命をかけて、内部告発しなければ、そもそもアメリカの司法制度の歪みが明らかにされることはなかったということ。彼を助ける司法制度は、日本よりはるかに民主主義に強固なこだわりをもつアメリカ社会でも機能していなかったということです。だから、僕は冒頭に、完全に司法制度が、完璧な三権分立の思想で運営されることはないと言っているのです。

しかし、そもそも、なぜ、今回の司法の独立性が遵守されない事態が発生したのか?すでに、この歴史の過ちはなんども繰り返されていることですが、そこを正確に理解する必要があります。今回のゴーン事件のケースであれば、全てのヒントは、彼の逃亡後に行ったインタビューに隠されています。

ロイター:ゴーン被告、マクロン氏を暗に批判 ルノー・日産の関係悪化を誘発

以下は、抜粋です。

“ゴーン被告はレバノンで行った逃亡後初の記者会見で、「(仏政府の議決権拡大で)日産の経営陣や日本政府との関係に大きなしこりが生じた。ここから問題が始まった」と指摘した。”

つまり、フランス政府がルノー社の実質的な支配権を握るような状態になったため、ルノー・日産・三菱自動車の連合は、ルノーのトップでもあるゴーン氏が取締役会長兼CEOであることも踏まえると、実質的にフランス政府が、日産と三菱自動車の握っている状態になっていたわけです。実際の議決権など細かい数字の話は省きますが、この点がトリガーになったわけです。

このような自体を、「国益」を重視する日本の政財界が黙っているわけがない。間違いなく政財界をあげて、ゴーン氏の追放に動いた。彼を有罪レベルまで持って行こうとした理由は、彼自身に不満を覚えている日産幹部の意向が強く出ていると言えるでしょう。彼の社内でのネガティブな発言をまとめた本がタイミングよく出ているのは、自分達を正当化するためです。僕が別の記事にまとめている「組織=悪」における「集団防衛本能」が発揮しているケースです。この点は、まだあとで話をしますが、社内政治をするしか能力のない自ら果断する能力のない連中ほどこういう行動力に長けています。笑

この辺りの政財界の動きを理解するのに、うってつけな漫画があります。

この点を踏まえれば、頭の切れるゴーン氏が、15億円の保釈金を捨ててまで、かつ、プロの逃亡屋に億単位の報酬を払ってまで、日本を出る決意をすることは、実はとても合理的な判断なのです。日本の歪んだ司法制度が原因で、有罪となり、以後の人生を完全に失うリスクがあるからですね。

それは、今回の問題の本質にある全ての社会に根ずく「排他性」という問題がそこにあるからです。さて、ここからが本題です。なぜ、日本の政財界は黙っていられないのか?

全ての社会に根ずく「排他性」という問題

「排他性」とは、集団が発揮する自分たちの生命維持にそぐわない存在を排除する動きのことを言います。自然界にこの「排他性」を理解するヒントがあります。アフリカでよく問題になるエイズやエボラ出血熱という致死性が高い難病がありますね。今から50年前には全く知られていない病気でした。発症例が少ないからです。しかし、近年、大量に発生するようになった。その原因は間違いなく人口爆発です。人口爆発の大半はアフリカなど新興国で発生している。人口爆発が起きるということは、当然、人間の生活範囲が自然界に過剰に侵食していくことを意味します。

エボラやエイズのウィルスは、「宿主」に宿っています。地元に生息するサルやコウモリなどですね。宿主は、そのウィルスとは共存関係にあるので病にはかかりません。免疫があるということです。しかし、人間には全く免疫がない。ここがポイントです。ですから、人口爆発で、宿主の生活圏に人間が過剰に侵食しすぎると、このウィルスが人間に攻撃を始める。なぜか?

自分達の秩序の安定を守るためです。生命としてのしごく当然の防衛本能というやつです。自然界の多様性の維持するホメオスタシスにはこのようなメカニズムがある。つまり、「他者を過剰に侵食しないこと」である。

実は、この問題が、世界史で最も顕著な形で現れた事例があります。絶対に、世界中の人が一度は聞いたことがあるエピソードです。

「イエス・キリストの張り付け」です。ほとんどの人が、なんで、イエスが張り付けにあったのか、その本質的を理解していない。当時のローマ帝国の政府がもつ集団的防衛本能である「排他性」が彼を張り付けにしたのですよ。イエスを張り付けにしたのは、ローマ初代皇帝アウグストスです。自分の功績にキズを入れたくない彼は、歴史書を改ざんさせて、イエスの張り付けにしたのは、その次の皇帝ネロであることにした。

なぜ、アウグストスはイエスを捉えて、張り付けにしたかったのか? 彼は、ローマを強力な軍隊をもつ政府とそれが定める法律に基づく統治体制にしようとしていた。有史以来、変わらぬ僕らの文明社会のもつ基本的な「カタ」ですね。しかし、イエスの哲学は、彼は、いわば僕がやっている「奉仕経済」に通じる思想を説いていたので、政府自体が不要な世界を作り出そうとしていたのですね。だから、ローマ帝国にとっては自らを存在否定されたことになり、結果、ローマ社会は集団的防衛本能を発揮し、その「排他性」によって、彼を貼り付けにした。

なので、僕は冒頭に伝えたように、司法の歪みの問題などは、過去の歴史、数千年前から起きていることで、大して変わっていないと言っているのです。三権分立とそれらに対する民間の監視的な役割としてのジャーナリズムがある現代でも、エドワード・スノーデン氏のように命がけの内部告発をしなければ、その司法の歪みの問題を明らかにすることができなかった。これが僕らが生きている現代の文明レベルということ。

ここに、しかし、過去の歴史より何千年と続く「排他性」の問題に終止符を打てるテクノロジーが登場した。それが「ブロックチェーン」です。

排他性が全く存在しないビットコインという新たな統治システムの登場

ビットコインは、この「排他性」が存在しない統治システムなのですね。ビットコインの中核技術であるブロックチェーンは、完全なるP2Pで動いていますから。芸術的とも言えるほど、「排他性」がない。来るものの拒まず、去る者追わずのシステムです。それが、DAO(非中央集権型組織)の話に繋がってくるわけです。

ビットコインの信用の強力な土台の一つはここに成り立っています。詳しくは「こちらの記事」にまとめています。

つまり、DAOにとって最重要の命題の一つは、そのソフトウェアのガバナンスアーキテクチャから完全に「排他性」を除外していることが非常に重要であるということです。こいつがあれば、過去、人類が、イエス・キリストを張り付けにして以来、続けてきた組織が生来的にもつ「排他性」による負のスパイラルから自分達の社会を解き放つことができる。これは、まさに人類史において革命的と言える出来事になります。文明論の根本が生まれ変わるからです。

僕は、今回のゴーン事件をそのような目線でみています。DAOの重要性を、改めて僕らが認識するために起きた事件であったということです。

なので、高給取りのゴーン氏が云々と言っているやつは、ただのアホです。賢くなりましょう。同じ経営者だから分かることですが、日産をV字回復させた彼の経営者としての腕前は本物です。同時に、それに失敗すれば、彼は訴えられるリスクが常にすぐ側にあったのです。代表取締役という立場を理解していない人があまりにも多いですが、会社法で規制されている役職であり、株主訴訟や労働訴訟のリスクを常に抱えながら仕事をするのですよ。つまり、彼はハイリスク・ハイリターンの仕事を引き受けたのですよ。むしろ、彼のようなリーダーがいない組織に成り果てたサラリーマンしかいない大量のレイオフも含めた「果断」をする胆力を持った人材が皆無の、会計不正問題を起こした東芝と同じように社内政治しかする脳のない人間の集まりに成り果てた日産だからこそ、1999年に危機的な財務問題を抱え、ルノーに助け舟を求める羽目になったのです。

しかも、彼は、父親は、元犯罪者で、殺人罪もあり、最終的には死刑になっている人物です。そのような親を持ちながら、道を誤らず、生きること自体が至難の技であることを多くの人は知るべきでしょう。つまり、彼は人間として大変な努力をしてきたことがわかります。もちろん、彼が拝金主義者である側面は、僕の価値観から全く尊敬できませんが、多くの場合、彼のような親を持った子供で、かつ、凶悪犯罪が日常的なブラジルで育った彼であれば、小さい頃に犯罪に手を出し、道を誤っている確率の方が高いのです。その点は、「こちらの記事」にまとめています。

そして、この排他性を除外した上で、正しい判断をDAOがし続ける上で重要になってくるのが、DAOにおける優れた「集合知」の形成メカニズムをどう作り上げるかなのですね。これが、僕がこのブログでなんども言っている「多様性」の話と繋がってきます。これこそが、国連のSDGsが掲げる持続性の高い経済システムと繋がってくる話なのです。詳しくは「こちらの記事」にまとめています。

以上、みなさんの参考になれば幸いです。

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