イギリスからアメリカへの基軸通貨の移行期から学ぶポストドル時代の仮想通貨・ブロックチェーン市場の未来 #1

ポストドル時代を考える上で、以前から、このブログの読者には、ポール・ケネディが書いた名著の「大国の興亡」を読むことを勧めているのですが、今、なんと見たら、中古で2万円もすることがわかり(僕が買ったときは、中古で2,000円ぐらい)、流石にこれでは、金のない人は手が出ないだろうということで、話の骨子をこちらにまとめておきます。

まず、理解した方がよいのはこの図です。

https://www.coindesk.com/in-race-for-2030-currency-supremacy-the-dollar-is-its-own-worst-enemy

これは、IMFがまとめている、世界の中央銀行が保有している保有通通貨の割合についてまとめたものです。2009年から2019年までの10年を3回に分けて分析しています。

青がアメリカのドル、オレンジがユーロ、水色がイギリスポンド、そして、黄色が日本円、グレーが中国元です。一目瞭然ですが、ドルが、シェアの60%以上を持ちます。アメリカドルは、名実共に、世界の基軸通貨です。

しかし、今から100年前の1900年初頭は、全く違いました。水色のイギリスポンドが、アメリカドルの地位、すなわち、基軸通貨の地位を持っていたのです。

では、イギリスは、いかにして世界覇権を確立したのか?振り返っていきましょう

イギリスの世界覇権を決定的にしたワーテルローの戦い

まず、全ての始まりは、大航海時代まで遡ります。宗教改革を経験したヨーロッパ社会では、それまで、四角いと考えられていた地球は、コペルニクスの地動説などによって丸いことが証明され、それによって、ヨーロッパ各国で世界開拓熱が生まれて行きます。それが、大航海時代のキッカケです。

当時最も資金力のあった国王が投資し、冒険者が、アフリカ、アジア、アメリカ大陸を発見していく。投資ですからリターンが必要です。そのリターンが、現地の財宝、奴隷、胡椒と言った特産物でした。やがて、その投資手法が、植民地支配としてノウハウが確立されていきます。

そして、国王は、やがてそのリターンでえた資金を元に、軍隊を強化するなどして絶対的な権力を確立し、これが絶対王政時代へと繋がっていく。

こうして、ヨーロッパの絶対王政を軸に植民地争奪戦が全世界で拡大して行きます。その中、この国王と植民地の中間で活動していた人々が台頭してきます。ブルジョアジーですね。彼らは、植民地事業でかなりの富を手に入れて、それに応じて社会的地位も向上して行きます。この中で、国王の絶対権力に対して問題視する勢力が登場し、そこにロック、ルソーやモンテスキューらと言った思想家が、彼らを後押しすることで、民主革命がヨーロッパで拡大して行きます。

この植民地拡大と民主革命が同時並行で起こる中で、世界の植民地争奪戦は、ほぼ二強体制が出来上がっていきます。イギリスとフランスですね。そして、民主革命が、お互いの勝敗の明暗を分けます。

イギリスは、早い段階で立憲君主制の確立に成功していました。「国王は君臨すれども統治せず」とはイギリスの立憲君主制が生んだ言葉です。この政治概念は、のちの明治日本の統治システムの手本となって行きます。

一方、フランスは違いました。絶対王政ルイ王朝を打倒した民衆は、新たな絶対的なリーダをのぞみ、それが、軍事的天才であるナポレオン・ボナパルトです。彼は、自分が、フランスの皇帝になることを望んでいました。そして、フランス皇帝となったナポレオンは、他のヨーロッパ諸国を侵略することを考え始めます。これが、ヨーローパに一気に政治的緊張を生みます。なぜなら、植民地争奪戦では、自国が直接攻めらられることがなかったからですね。それをナポレオンはやろうとしている。

そして、この結果起きたのが、ワーテルローの戦いです。イギリスをリーダーとする連合国VS皇帝ナポレオン率いるフランス軍の戦いです。

From Wikipedia – ワーテルローの戦いは、1815年6月18日、ベルギー(当時ネーデルラント連合王国領)のワーテルロー近郊においてイギリス・オランダをはじめとする連合軍およびプロイセン軍と、フランス皇帝ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト)率いるフランス軍(大陸軍=グランダルメ)との間で行われた一連の戦闘を指す名称である。フランス軍が敗北し、ナポレオン戦争最後の戦闘となった。

以下は、その時の軍隊の展開図です。ナポレオン率いる主力部隊と、イギリス側の将軍ウェリントン率いる連合軍との戦いが、決定戦となりました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 

フランスがこの戦いに破れたことで、イギリスの植民地争奪戦には互角レベルのライバルが消えます。こうして、イギリスは、同時にヨーロッパ諸国に先駆けて実現した産業革命による工業力を武器にした植民地支配政策を確立し、「パックスブリタニカ」(ローマ帝国全盛期のパックスロマーナになぞらえ命名)の時代を迎えます。以下は、全盛期のイギリスの植民地です。「世界の7つの海をまたぐ海洋帝国」とは正にこのことですね。

 

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_British_Empire.png

 

同時に、こうして、イギリスポンドは、世界の基軸通貨としての地位を確立し、イギリスの金融街シティは、現代のアメリカのニューヨークにあるウォール街と同等の地位を手に入れます。また、これが、日露戦争時代に、日本銀行副総裁の高橋是清が、イギリスのシティで戦費調達を行った背景です。当時の戦争は完全に公式のビジネス扱いです。今でも本質的には変わらないが。

パックスブリタニカ時代のアメリカは、モンロー主義によって内部の統治確立に集中

一方、現代の基軸通貨国家のアメリカは、その当時、どうしていたか。内政に集中していました。1783年にイギリスから独立を勝ち取ったものの内部の政治体制は全く確立されていませんでした。植民地の連合体のようなレベルですね。

ですから、アメリカは、「モンロー主義」を取ります。

From Wikipedia – モンロー主義は、アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したことを指す。第5代アメリカ合衆国大統領ジェームズ・モンローが、1823年に議会で行った7番目の年次教書演説で発表した。モンロー宣言と訳されることもあるが、実際に何らかの宣言があったわけではないので、モンロー教書と訳されることも多い。この教書で示された外交姿勢がその後のアメリカ外交の基本方針となった。原案はアメリカ合衆国国務長官ジョン・クィンシー・アダムズが起草した。

1865年に、内戦である南北戦争が集結するまでは、アメリカはこのモンロー主義を貫いています。この間に、西武開拓を進め、インディアン達を掃討し、現在のアメリカの領土をほぼ確定させます。

同時に、モンロー主義はアメリカ大陸全土を意味するので、ラテンアメリカへの支配力も含めています。このころから、南米は「アメリカの裏庭化」が進んでいくのですね。

簡単に言えば、モンロー主義とは鎖国のようなもので、ヨーロッパ諸国が、アメリカ大陸に手が出させない状態を政治的に作り出したと言うことです。この辺りは、今の中国政府のやり方は、明らかにこれを参考にしており、覇権国家のアメリカ企業を容易に中国市場に進出させないことで、内部に資本を蓄えて、海外進出していくための下準備を取っていたと言うことです。

結果、このモンロー主義の中で、巨大なアメリカ大陸の市場にビジネスを拡大し、JPモルガン、ロックフェラー、カーネーギーに代表されるビックファミリー(巨大財閥)が育成され、アメリカ経済内に巨大資本が蓄積されていくのですね。

そうして、ようやく準備が整った段階で、アメリカは、1990年に「フロンティア消滅宣言」を発表し、対外進出を開始、帝国主義へと舵を取ります。ただ、その手前段階から、アメリカ政府内部では、帝国主義を掲げる勢力が台頭してきており、モンロー主義者達と対立を起こしていました。日本を幕末へと突き進ませていく米海軍ペリー提督による1853年の浦賀に起きた「黒船来航」はその予備的な動きです。1890年の「フロンティア消滅宣言」によって、アメリカ政治内部で、完全に帝国主義に舵を切る全体のコンセンサスが得られたわけです。また、同時にラテンアメリカの裏庭化を進めていくため、1889年には「パンアメリカ会議」を開催しています。

つづく。

関連記事