ホリエモンとスティーブ・ジョブズの比較から、だれでも分かる東京とシリコンバレーのレベルの違い

シリコンバレーと東京のスタートアップエコシステムの圧倒的とも言えるレベルの違いについて、これから起業を考えている人にもそうでない人にも、だれでも分かる事例でお話しようと思います。

スティーブ・ジョブズとアップルの関係

まず、スティーブ・ジョブズについて、簡単に触れておきます。

From Wikipedia – スティーブ・ジョブズ(1955年2月24日 – 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の実業家、作家、教育者。 アップル社の共同設立者の一人。アメリカ国家技術賞を受賞している。

スティーブ・ジョブズはシリア人の父アブドゥルファター・ジャンダーリと、アメリカ人の母ジョアン・キャロル・シーブルとの間に、サンフランシスコで生まれ、生後すぐに養子に出され、養父母となったポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻によって育てられた。

1971年の夏、16歳のジョブズは友人ビル・フェルナンデスの紹介で当時21歳のスティーブ・ウォズニアックと知り合い、すぐに意気投合。1972年9月、オレゴン州のリード大学に入学するも、半年間通った後、興味のない必修科目を履修することを嫌がり中退。しかし、その後もリード大学のキャンパスを放浪し、コカ・コーラの空き瓶拾いや心理学科の電子装置修理で日銭を稼ぎながら、哲学やカリグラフィー(西洋書道)など、興味のあるクラスだけを聴講するもぐりの学生として過ごし、合計18か月をリード大学に費やす。その後、ゲーム会社のアタリでバイトをしながら、貯めた資金などを元にインドに放浪旅をし戻って来てよりは、曹洞宗の禅僧である鈴木俊隆と知野弘文を導師としてサンフランシスコで禅を学ぶなど、自分探しの旅を続けていた。

アップルの創業から追放されるまで

1975年、Altair 8800というコンピュータ・キットが発売され人気を博してところ、ウォズニアックはAltair 8800よりも優れたマシンを自作し、これがのちの「Apple I」となる。ヒューレット・パッカードとアタリにこのマシンの商品化を断られた後二人は、独力で事業化することを決め、1976年4月1日、ジョブズとウォズニアック、そしてロナルド・ウェインの3人は、カリフォルニア州にて「アップルコンピュータ・カンパニー(Apple Computer Company)」を創業。

「Apple I」のバイトショップとの取引により約8,000ドルの利益を得たジョブズはさらなる事業拡大を考え、投資家探しを始める。元インテル社員で、ストックオプションの売却で多額の利益を経て、若くして引退生活を送っていたマイク・マークラを巻き込むことに成功。マークラは自分の個人的資産から9万2,000ドルをアップルに投資したほか、バンク・オブ・アメリカから25万ドルもの信用供与を確保し、見返りとして、アップルの株式の3分の1を受け取り、取締役として経営参画する。

マークラは会社の成長には経験豊富な経営者が不可欠であると考え、ナショナル セミコンダクターからマイケル・スコットを引き抜き、アップルの初代社長兼CEOに任命。

Apple Iの後継機種である「Apple II」は、1977年に発売され、むき出しの基板(マザーボード)として販売されたApple Iとは大きく異なり、Apple IIは基板やキーボード、電源装置などが一体化された筐体であり、テレビ等の外部ディスプレイを接続すればすぐにコンピュータとして使用することができたほか、ディスプレイにカラー表示することが可能なのも大きな特長であったことを受けて、製品として大成功を収める。

Apple IIは1980年には10万台、1984年には200万台を超える売り上げで、莫大な利益をアップルにもたらした。1980年アップルは新規株式公開(IPO)を行い、自動車会社フォードが1956年に行ったIPO以来最高となる資金調達額を記録。

このApple2の成功によって、アップル・コンピュータは、一気に急成長し、パーソナル・コンピュータ産業のリーディングプレイヤーとなります。

しかし、これは同時に、IBMなど強力なライバルがパーソナル・コンピュータ市場に興味をもつきっかけを与え、まもなくしてアップルも非常に厳しい競争環境に晒されます。

その後、当時、社長だったスコットとジョブズのそりが合わず、スコットはアップル社を出ますが、アップルの取締役会は、当時、30歳弱のまだ若いジョブズには、この競争環境の中、まだ経営の舵取りをするには「経験不足」(笑)と評価し、新たなCEOの採用をジョブズに促します。創業期から一緒に経営してきた取締役のマークラの提言もあり、この案を受け入れたジョブズが雇ったのが、当時、ペプシ・コーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーです。この採用が、後に、ジョブズが追放されるトリガーとなります。

ジョン・スカリー(1939年4月6日 – )はアメリカ合衆国の実業家。ペプシコーラ社長とアップルコンピュータの社長、CEOを歴任した。

そのときの彼のスカリーを口説いた文句は、テックスタートアップ業界のリクルーティング秘話としては、今でも語り継がれているフレーズですね。

「このまま一生砂糖水を売りつづけたいか?それとも世界を変えたいか?」(英: Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?)

1983年にスカリーがアップルの社長になり、当初は「ダイナミック・デュオ」と呼ばれるほど、二人のコンビネーションは上手く行っていました。そして、その一つの着地点が、ジョブズが手がけ、パーソナル・コンピューター市場が一気に市場拡大するキッカケとなった、芸術的なパーソナル・コンピュータの「マッキントッシュ」の市場投入でした。美しいグラフィックユーザーインタフェースとマウスによる画面操作は、革命的と言われ、ノート・パソコンが登場するまでの、パーソナルコンピューターのスタンダードとなります。マッキントッシュは、その製品としての完成度の高さから、MOMA(ニューヨーク近代美術館)に、アンディ・ウォーホルらの現代アーティスト作品と共に展示されています。

タイム誌の表紙を飾った当時のジョブズとマッキントッシュ

また、もう一つ歴史に残っているのが、マッキントッシュの製品発表時に作成されたTVコマーシャルです。当時、強力なライバルとして台頭してきていたIBMをこのブログによく登場するSF小説家ジョージ・オーウェル作「1984」の監視政府のリーダー「ビック・ブラザー」になぞらえ、自由のための戦いの武器として、マッキントッシュを1984年に世に送り出します。以下が、そのCMです。このCMもまたTVCMの最高傑作の一つとして、マーケティング業界で長く語り継がれています。

しかし、二人は、やがて、経営方針や経営手法を巡って対立をはじめます。特に、問題の槍玉に上がったのは、マッキントッシュの売れ行きの悪さでした。原因は価格です。価格設定が、競合のIBMなどに比べて高すぎたこと。ここでジョブズとスカリーは対立していました。マッキントッシュは、傑作でしたが、多額の研究開発費もかかっていたため、その費用を早い段階で回収しようと考えたスカリー陣営が、非常に高い価格設定をしていました。一方、ジョブズは、利益回収は優先せず、価格を抑えて、一気に市場を取りに行くことを主張していたのですが、この案が採用されず、結果的にマッキントッシュは、製品はとてもいいが業績としては不発となってしまう。

すると、取締役会は、マッキントッシュの不振の責任をジョブズに押し付けてきます。ここで若きジョブズは、焦ってジョン・スカリーが出張中に、取締役会を開いて、自分がCEOに返り咲くことを画策しますが、裏ではスカリーと取締役会はその動きを事前に察知しており、実は、スカリーは空出張で、予定通り取締役会に参加し、ここで、ジョブズの役職剥奪が決議されます。単なる株主としてのみの存在に追いやられてしまったのですね。

こうして、ジョブズは、当時の主要ニュースメディアに「ジョブズ、創業したアップルを追放される」と書きたてられます。

その後、ジョブズは、どうしたか?ここが、今回の話のポイントの一つです。彼は猛省します。彼は、メンターとして世話になっていたヒューレットパッカードの創業者であるデビット・パッカードや、インテルの創業者であるロバート・ノイスらに会い、「シリコンバレーを築いてきた先人達の功績に泥を塗ってしまった。これからの自分の後に続く若い起業家に苦しい道を与えてしまった」と猛省します。

実際の発言内容がどのようなものだったかについては、彼の言葉から直接話をしてもらうのがよいでしょう。以下は、スティーブ・ジョブズが、2005年、スタンフォード大学の卒業式で行った伝説のスピーチです。対象の箇所は、5:30ごろから3分程度です。日本語字幕付きです。

そして、ジョブズと親しかったハリウッドの名監督でスターウォーズシリーズを手がけているジョージ・ルーカスは、この一連の騒動を問題視し、次世代の若き起業家たちが、ジョブズのような苦い経験を決してしないようにと、あの名作スターウォーズ・シリーズにある隠されたメッセージを埋め込むのですね。多くの日本人が知らないことです。それについては、「こちらの記事」にまとめています。

しかし、ジョブズは、アップルに復帰するチャンスを得ます。当時、経営が傾いていたアップルは、次期OSの自作を断念し、他社の採用を検討していたところ、ジョブズが経営していたNext社のOSに興味を持ち、最終的にアップル社がNext社買収する形でアップルに、再び、CEOとして復帰します。

CEO復帰直後に打った、彼のこの「Think Different」TVコマーシャルもまた、CM業界では伝説の作品と言われています。

その後、彼の功績は、多くの人々がよく知るところです。iPod+ iTunesの成功から、新たなパーソナル・コンピュータの市場を切り開いた世界初のスマートフォンiPhoneや、タブレットコンピュータのiPadを世に送り出し、大成功を収めます。アップルの時価総額は長年のライバルであったビル・ゲイツのマイクロソフト社を超え、名実共に、世界最高のIT企業へと成長します。

しかし、同時に、彼は、若い頃のフルータリアンとしての食生活は、体に過剰な負担を与えており、結果、すい臓がんに犯され、車生活まで余儀なくされます。そうして、2011年8月、とうとう経営者としての業務を遂行することが困難になると判断し、取締役会で「とうとうこの日が来てしまった。後任をティム・クックに託す」と伝えて引退します。そのとき、社外取締役の一人が涙を流したというエピソードは今なお語り継がれていることです。

そして、2011年10月5日、膵臓腫瘍の転移による呼吸停止により妻や親族に看取られながらパロアルトの自宅で永眠します。

ジョブズが亡くなった直後の自宅前。多くの花束とアップルのシンボルである「一口かじられたリンゴ」がお供えされている。

彼は、僕にとっては、本当に特別な存在です。それは、同じ起業家として、彼が幼少期に受けた人生体験が、僕のそれと比べて中身こそ違え、非常に似ているものがあるからです。詳しくは「こちらの記事」にまとめています。だからこそ、スティーブ・ジョブズの起業家としての功績には、心からの尊敬の念を持っています。

 

ホリエモンとライブドア事件

一方、ホリエモンはどうだったのでしょうか?

ライドドア(旧オンザエッジ)創業から逮捕されるまで

From Wikipedia – 1972年、福岡県南部の山間部に位置する八女市に長男として生まれる。一人っ子。父親はサラリーマンで、母は何度も勤め先を変えており最終的に経理的な仕事に落ち着いた。母はとにかく気性が荒く、貴文に無理を言った。その一つとして、小学1年生のとき突然の母の命令で柔道を始めるはめになる。小学校の6年間警察の柔道道場に通い、片道30分かけて自転車で道場に行き、1時間半の猛練習をして、また30分かけて帰る。これが週3日続いた。理不尽なしごきや体罰もありひたすら苦痛だったとのこと。

テストや教科書が簡単すぎてつまらなくなり、算数のテストで10分で解き上げクラスメイトの答案の採点をしていたが、小学3年生の担任が久留米の「全教研」という進学塾に行くことを勧めた。それまで貴文は塾はお金持ちの子供か勉強のできない子供が行くところと思っていたが4年生から通うことになる。久留米の生活は塾のある日は柔道を休め、刺激的な友達と出会え、美味しものも食べられる。しかも講師陣の教え方もうまく授業のレベルも高かったため勉強が楽しくなり、そのまま県下で一番の進学校である久留米大学附設中学校に合格。

中学に上がるのと前後してコンピュータと出会う。きっかけは映画「ウォー・ゲーム」。なんとか両親を説得し合格祝いに日立のMSXパソコン「H2」を買ってもらう。毎日深夜までプログラミングに明け暮れ、もはや初心者用では満足できなくなり、「PC-8801mkⅡFR」を買う。購入資金は親から20万円借金し、それを新聞配達で返済。コンピュータにのめり込みすぎたあまり入学当時トップ10クラスだった成績は学年202人中199番というところまで落ちる。さらに当時のパソコンを取り巻く環境に幻滅しコンピュータからも離れてしまう。

こうした環境から脱出するため貴文は東京に行くことを決心。受験勉強は英単語帳を隅から隅まで、派生語や例文も含めてすべての文言を丸暗記することでセンター模試で9割以上の正解。結果的に現役で東京大学に合格する。

大学在学中にやっていたプログラミングのアルバイトでインターネットと出会う。1996年、有馬あきこらと共に有限会社オン・ザ・エッヂを設立(オン・ザ・エッヂを設立後に東京大学を中退)。当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目を集める。2000年4月に売上高2億5000万円で東証マザーズに上場。2002年、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した上で、ライブドアへ社名を変更。その後、2004年から2005年にかけて、プロ野球のオリックスの買収や、TV放送局の日本放送の買収などを仕掛けるがいずれも失敗。

そして、その後の2006年に、日本のその後のスタートアップ業界に大きな影響を及ぼす「ライブドア事件」が発生します。

From Wikipedia – ライブドア事件とは、ライブドアの2004年9月期年度の決算報告として提出された有価証券報告書に虚偽の内容を掲載したとする疑いが持たれるなど証券取引法等に違反したとされる2つの罪で、法人としてのライブドアとライブドアマーケティングおよび同社の当時の取締役らが起訴された事件である。裁判は、堀江貴文に懲役2年6ヶ月、宮内亮治に懲役1年2ヶ月、岡本文人に懲役1年6ヶ月執行猶予3年、熊谷史人に懲役1年執行猶予3年、中村長也に懲役1年6ヶ月執行猶予3年、公認会計士2人に懲役1年執行猶予4年、ライブドアに罰金2億8千万円、ライブドアマーケティングに罰金4000万円と計7人と2法人に対して有罪が確定。

そして、下の動画が、刑務所に収監される当時のホリエモンの様子です。彼のアイデアで着ているTシャツに、企業名が出ている通り、スポンサー付きのイベント企画として実施されています。今でもTVで見たシーンを覚えているが、彼は、ライブドア事件の最終公判で泣き出したり、この動画にあるように刑務所移送前の収監時に「モヒカン頭」で出頭していた

どうでしょうか? 何を感じますか?

僕は、この報道は今でも、鮮明に覚えています。当時、すでにポスト資本主義社会を作り出すために、起業家になることを志していた僕は、この彼の言動に、強烈に怒りを覚えたことを今でも記憶しています。なぜか?

日本のアウトロー起業家の未来を絶った「ライブドア事件」

ライブドア事件が、日本のスタートアップ業界に与えた影響がどれほどのものか? テック系で起業していない日本人は全く知らないでしょう。まず、ホリエモンは、彼は、わかりやすい話、アウトロータイプの起業家です。全然、天才ではないが。笑

先に紹介したように、家庭の裕福な出ではない上、英才教育を受けたわけでもなく、大学を中退し起業している。アメリカで優等生起業家の代表格と言われれるビル・ゲイツ氏とはかなり異なる生い立ちですね。

成功する起業家は、二種類います。優等生とアウトローです。天才的なセンスを持った破壊的なイノベーションを起こす能力はどちらの起業家が高いか? 過去の歴史が証明している通り「後者」です。

先に紹介したスティーブ・ジョブズは、ホリエモンなどとは比べものにならないほどの筋金入りのアウトローです。また、彼と最も親しい友人だったオラクル創業者のラリー・エリソンもまたアウトロータイプです。裕福な家庭の出ではなく、大学を二度中退しています。

From Wikipedia – ローレンス・ジョセフ・エリソン(1944年8月17日 – )は、データベースソフトをはじめとする大手ビジネスソフトウェア企業オラクル・コーポレーションの共同設立者であり、元CEO、会長、CTOである。

そして、ジョブズが追放された後、シリコンバレーでは、ジョブズと同じようなアウトロータイプの起業家をサポートしていく仕組みが確立され、そこで花開いた現代のカリスマ起業家の代表格が、ジャック・ドーシーです。TwitterとSquareを作った起業家です。彼も大学は中退です。

From Wikipedia – ジャック・ドーシー(1976年11月19日 – )は、アメリカ合衆国の起業家、実業家、ソフトウェア・デザイナー。エヴァン・ウィリアムズらと共にTwitterを創業した。現在は同社の共同創設者兼CEOを務めている。

 

また、ジャック・ドーシーを育てたのは、サンマイクロ・システムズの創業者で、シリコンバレーを代表するVCコースラ・ベンチャーズのビノット・コースラ氏であることは、シリコンバレーでよく知られています。彼が、Sqaureに出資し、そこでジャックを育て、そのお陰でジャックは、TwitterのCEOにも返り咲くのですね。しかも、ビノット・コースラは、アメリカ人ではなく、インド出身の移民です。つまり、アメリカ社会においては、社会的マイノリティです。つまり、彼もアウトロー起業家です。

 

ビノッド・コースラ(1955年1月28日 – )は、インド・プネー生まれのベンチャーキャピタリスト。米サン・マイクロシステムズ社の共同設立者の一人である。

僕は、シリコンバレーでの起業時代に、ビノット・コースラ氏に、Tech Crunch Disrupt SF 2011でエレベーターピッチを30秒やって、名刺をもらい、その後、彼のオフィスでプレゼンさせてもらったことがあります。名刺をもらえるというのは、「出資する興味がある」サインというのがシリコンバレーのインナーサークルにおける暗黙のルールです。すでに60才を超えている方でしたが、非常に頭がキレる人で、起業家の人格をしっかりと見ている人であることが明示的にわかる方でした。

更に、もう一人上げるなら、間違いなくテスラ・モーターズを率いるエネルギー革命を起こしているイーロン・マスクですね。彼もまた南アフリカ出身の移民です。つまり、社会的マイノリティかつアウトロー起業家です。

 

From Wikipedia – イーロン・マスク(1971年6月28日 – )は、南アフリカ共和国・プレトリア出身のアメリカの実業家、エンジニア。宇宙関連を経営としたスペースX社の共同設立者およびCEO、テスラの共同設立者およびCEO、テスラの子会社であるソーラーシティの会長を務める。2016年12月、フォーブスの世界で最も影響力のある人物ランキング21位に選出された。PayPal社の前身であるX.com社を1999年に設立した人物でもある。

このように世界最大のイノベーション・ハブへと成長したシリコンバレーは、社会マイノリティである移民も含めたアウトロー起業家が中心のスタートアップエコシステムであるということ。ここをよく理解してください。彼らは、昭和の日本官僚が美化した、日本人の多くがよく思い描くような優等生としてのエリートコースは一切歩んでいないということを

その上で、ホリエモンの起業家としての成果をよくみてもらいたいのですが、ジョブズとの比較で、彼は何一つ革新的な製品を世の中に送り出していない、ということに気づきませんか? 要するに、アウトロー起業家としても、最も下等生物のパターンなのですよね。ホームページ制作など、単なる超低レベルな受託開発業ですから、サルでもできる商売です。ライブドアも買収で獲得したポータルサイト事業。僕が2017年に世に送り出した世界最速のプライベート・ブローックチェーンのBaaSであるOrb DLTのように全く自分たちで製品を生み出す力がない。iPhoneや、Tesla、TwitterやSquareを生み出す難易度と比べると天と地ほどの開きがありますね。

ですから、僕は、日本の大半の起業家の成功モデルを「国立大学受験勉強モデル」と名付けています。早い話、「パクリ」です。自分の頭では全く考えず、他人が成功したモデルをパクる。相手のやっていることを丸暗記すればいいのですから、ホリエモンが得意な受験勉強と同じですよね。詳しくは「こちらの記事」にまとめています。なので、シリコンバレーから出てくるイーロン・マスクやジャック・ドーシーのような本物のクリエイティビティを持った天才起業家集団が仕掛けてくるプロダクトには、全く歯が立たず、ボコボコに負ける。

というわけで、僕はホリエモンを起業家と認めたことは一度もない。拝金主義者の目立ちたがり屋な単なるタレントですね。宇宙船事業も、情弱ビジネスである有料メルマガやサロン、ゴーストライターに書かせた本で稼いだ金で、投資家として関わっているだけで、自らは、イーロン・マスクのようにロケットの設計にも関わっていない。シリコンバレーでは全く相手にされないタイプです。

しかし、最も重要なことは、このライブドア事件の結果、本物のクリエイティビティを持った日本のアウトロータイプの起業家は、窮地に追いやられたという歴史的事実。僕は、完全にアウトロータイプです。いわゆるFランク大学で、とりあえず卒業しましたが、有名企業での仕事経験はゼロです。僕はライブドア事件の前から、インターネット業界で起業したことがある人と交友関係があったので、その人が教えてくれた経験談として聞いてわかっているのですが、「ライブドア事件前後から、自分のようなアウトロータイプの起業家の資金調達は恐ろしく難しくなった」という事実です。

ホリエモンなどと同世代のインターネットバブル時代に起業していた人なので、当然、バブルによる調達環境の容易さも当時の傾向として、あるにはあるのですが、それでも、有名大学卒や有名企業での長い就労経験など優等生プロファイルを持っていないとかなり資金調達が厳しくなったというのは、僕が、Orbを立ち上げていたときにも実感したことです。この方は、その後は、日本では起業せず、シリコンバレーの破壊的なテックベンチャーの日本進出を手助けするカントリーマネージャの仕事を引き受けて成功しています。真っ当な判断ですね。そして、僕が2010年から2012年の間にシリコンバレーで起業した動機の一つも、これです。

自ら創業した会社を追い出されるという顛末は、刑事事件をのぞいては、全て同じです。むしろ、刑事事件まで引き起こして会社を追い出されているホリエモンの方が、はるかに罪は重いでしょう。しかしながら、その後、スティーブ・ジョブズとホリエモンの言動には、かなりの違いがありますね。

スティーブ・ジョブズは、アップルを追放された後、「過去のシリコンバレーを作り上げてきた偉大な起業家たちに本当に申し訳ないことをした」と猛省する発言していますが、ホリエモンはどうでしょうか?

テラスハウスの一件で、自殺に追い込まれた木村花さん(この事件に関する僕の考えは「こちらの記事」にまとめています)のような、世の中の劣等生や社会マイノリティの人々を勇気づけるような発言をしたことがあるでしょうか?ライブドア事件を起こした罪をつぐなうような言動を、その後に続いた起業家の僕らにしたことがあるでしょうか?そのような発言は一切なく、今尚、好き勝手放題にやってますね。

なぜ、そんな人物の人生哲学の本を、みんな何千円も払って買う気になるのか?僕から見ると、日本人は、相当、気が狂っているように思います。

なぜなら、同じ金額を出せば、スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクのはるかに中身のある自伝が買えるからです。ホリエモンの主催するサロンに月数千円払って参加しているのも、僕からすれば同じぐらい気が狂っている行動です。この大不況の中、凄まじい金の浪費です。その点は、「こちらの記事」にまとめています。

まとめると、これが、東京のスタートアップエコシステムが、シリコンバレーからバカにされている理由です。まず、シリコンバレーの思想の核は、「テクノロジーはあくまで道具で、それをどう上手く使って、権威主義によらない、よりより社会を作って行くか」。これが、シリコンバレーの根底にあります。間違っても、ホリエモンがそうしたようにテクノロジーは、金儲けの道具などとは考えない。その点については、詳しくは「こちらの記事」にまとめています。

サトシナカモトが発明したビットコインのコアテクノロジーであるブロックチェーンをシリコンバレーが賞賛するのも、彼らのこのコア思想ルーツとブロックチェーンの思想がピッタリとリンクしているからなんですね。

なので、ホリエモンのような起業家を天才起業家や優れた成功者として祭り上げている時点で、日本は、完全に「オワコン」ということです。正直、彼が同じ日本人というだけで僕は恥ずかしくなります。僕が世話になっているシリコンバレーではバカにされている起業家なわけですから。

このブログを読んで、本当に、日本で、シリコンバレーのテックベンチャーが手がけるような世界を変える、優れた社会変革を起こすイノベーションをやりたいと思った人は、ホリエモンのような精神の腐敗した起業家がチヤホヤされる「東京」ではなく、「沖縄にあるOIST」にくることをお勧めします。断言します。ここには、「本物の科学者と起業家と、そして投資家」がいます。

その代表格は、ジョブズの右腕として活躍した、沖縄出身のジェームズ・比嘉氏です。今年から、OISTの経営陣に参画しています。

From Wikipedia – ジェームス比嘉(1958年3月18日 – )は沖縄県生まれ(日系二世)の実業家、投資家、慈善家である。長年、アップル創業者 スティーブ・ジョブズの片腕として様々なプロジェクトに関与し、特にiPodとiTunes Storeプロジェクトでの貢献から「iPodの父」と称される。

英語が話せることが最低条件です。詳しくは「こちらの記事」にまとめています。

以上、みなさんの参考になれば幸いです。

関連記事