カルマの法則とは何か?

 

僕は、仏教徒ではありませんが、仏陀の教えはすべて読了し、その哲学を深く理解しています。キリスト教徒でもなく、ユダヤ教徒でもありませんが、新約聖書と旧約聖書は全て読了し、その哲学も深く理解しています。イスラム教徒ありませんが、コーランももちろん読了し、その哲学を深く理解しています。

今日は、日本にいる何万人というお坊さんがいまだにきちんと説明できない、仏陀の教えにある「カルマの法則」について詳しく話をしましょう。

カルマとは「生きること」そのもの

なんじゃ、そりゃ?と思う人も多いでしょう。

カルマとは、漢字で「業」と書きます。業という言葉は、色々なところで使われる漢字の一つですが、最も使われるのは? 勘の良い人ならわかるでしょう。そう「仕事」です。職業、起業、事業、実業、家業、稼業、全て「業」という漢字が入っていますね。

僕らは、仕事をしないと生きて行くことはできないですよね? だから、カルマとは、生きることそのものと直結します。ですが、「生き方」はとても重要ですね。

ここで、いつもながら、Wikipediaにおけるカルマの説明の抜粋です。

From Wikipedia – 業(ごう)とは、カルマ(梵: कर्मन् karman)に由来し、行為、所作、意志による身心の活動、意志による身心の生活を意味する語。原義においては単なる行為(action)という意味であり、「良い」「悪い」といった色はなく、特に暗いニュアンスはない。

仏教およびインドの多くの宗教の説では、善または悪の業を作ると、因果の道理によってそれ相応の楽または苦の報い(果報)が生じるとされる。業は果報と対になる語だが、業の果報そのものを業という場合もある。仏教はすべての結果について「偶然による事物の発生」「(原因なく)事物が突然、生じること」「神による創造」などを否定し、その原因を説くのである。

業の思想はインド発祥の宗教(とりわけヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、シーク教)と道教において、輪廻と強く結びつく概念である。これらの多くの説では、善意と善行は良いカルマと幸福な転生をもたらし、悪意と悪行は悪いカルマと悪い再生をもたらすとされる善因善果、悪因悪果)。

この説明に出てくる「輪廻転生」については、今、科学的に証明されつつあり「こちらの記事」にまとめています。

Wikipediaにある通り、善意と善行は良いカルマと幸福な転生をもたらし、悪意と悪行は悪いカルマと悪い再生をもたらすとされる善因善果、悪因悪果)ということです。

蓄積した悪いカルマを解消する方法は、同等の「償い」をすること

その上で理解しなければならないのは、カルマは蓄積されて行く存在ということです。ですから、良きカルマを蓄積している分には、その人の人生に問題は生じませんが、悪行を重ねていると、その分の悪いカルマが、その人の人生に蓄積しています。蓄積したカルマを解く方法はあります。そのカルマに対して同等の「償い」を行うことです。

自分の「生き方」によって、自分以外の存在である他人や地球環境などが犠牲になっている場合、その人は、その分の償いをしなければ、本人が蓄積した悪いカルマが解消されることはありません。

また、償い方を理解していない人がほとんどです。刑務所に行っても、カルマは解消されません。当たり前です。刑務所という刑罰方法は人間が作り上げた手法の一つに過ぎませんから。僕が先ほどいった通り、地球環境なども全て含まれているということを忘れてはいけません。例えば、あなたが、何か人間社会で悪いことをして、実は、その行為が地球環境の破壊につながっていた場合、仮に捕まって刑務所で刑期満了して、人間側が許してくれても、地球は許してなければ、解消したことにはならないということです。本質的には言えば、宇宙も当然その対象です。しかし、まあ、そこまで知覚するのは極めて困難ですが。笑

そう、ここが、ほとんどの人が理解していないカルマの法則の最も重要な点です。それは、特定の社会や、人類社会全体にもカルマの存在があるということ。カルマの法則とは、自分個人だけの世界の話ではありません。

自己満足的な善因善果しても、日本人としてのカルマは解消されず、人類社会全体のカルマも解消されない

これです。

例えば、日本人として生まれてきているのであれば、その全員が日本社会が過去、何千年蓄積してきたカルマを全て背負っているということです。つまり、そのカルマは、日本社会全体が犯してきた、海外の国々に対してや地球環境に対しての過去の歴史的過ちを償わない限り、絶対に解消することがないということ。僕がよく言っている、日本の帝国主義が招いた、北朝鮮の問題や中国の共産党政権など東アジア情勢に対して、日本社会は、その問題がすべて解消されるまでその責任を負っているという話です。

人類全体の場合も同じですね。人類全体が蓄積してきたカルマというのは、人類一人一人が背負っています。ブッダが教えた「個にして全、全にして個」とはこの言葉につながってきます。万物は一体であるということ。

だから、多くの人が理解していないのは、「自分さえ善因善果して入れば、それで問題ない」と捉えていることです。自分以外の日本人や、別の人類が、悪因悪果を積み上げている場合、最終的には、あなたもそのカルマに対する責任を負うことになるということ。

新約聖書の黙示録に書かれている世紀末の世界観や、旧約聖書のノアの洪水伝説に書かれている世界観とは、ここの話につながっていきます。つまり、お互いが、お互いの人生に対して責任を負っているという自覚のないままの「生き方」を全員が続けていると、やがて、それが、とてつもない規模のカルマになって、ほぼ解決不能になってくるということですね。

そうなった場合、地球は、人類に対して容赦しません。新型コロナウィルスもその一つです。その点については「こちらの記事」に詳しくまとめています。

自ら社会を変える「生き方」のみが、本質的な善因善果であるということ

ですから、こういう結論となります。自己満足的な善因善果は、カルマの法則においては、価値がゼロであるということ。日本人なら日本人全員が、人類全体なら人類全てが、善因善果に「生き方」を変えていくような人生を送って初めて、それが、カルマの法則に叶った、善因善果となるということです。

それが、僕がこのブログでよくいう「マズローの欲求段階説の第6段階目」とつながってくるわけですね。詳しくは「こちらの記事」にまとめています。

そして、究極的には、宇宙含めた因果律を深く見抜いて、そのときどきの自らの生き方を決めていくというのが、天才の生き方です。

以上、みなさんの参考になれば幸いです。

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