マスター・オブ・スケール – スラック創業者兼CEOスチュアート・バターフィールドのインタビュー#5

バターフィールド:その当時の全ての写真共有の世界は、印刷されたものだった。それが一般的だったんだ。だから、それを圧倒的に簡単することには意味があると考えた。

同時に、競合もたくさんいた。SnapFish、Shutterfly、そして、Ofoto。Ofotoは、Kodakに買収されたね。しかし、僕の知る限り、誰もインターネットのことは視野に入れていなかった。社会的なメディアとして、インターネットのコンテンツに写真が加わることは価値があると考えた。

ホフマン:Flickrと共に、写真を共有することこそがインターネットの一つの目的になった。このFlickrが作ったコンセプトは、今やインターネットの世界では本当に当たり前になった。Facebook、インスタグラム、そして、Twitterなど。そこで、タギんぐしたり、共有したり、フォローしたり、ときに一つの写真がミーム化したり。Flickrがまさに現代のインターネットで当たり前の存在になった現代ソーシャルメディアの第1段階の統合的な実験場となったんだ。まさにイノベーションのたたき台と言える存在だった。

Flickrは、まさに、オンラインでのソーシャルインタラクションに革命を起こした。仕掛けたタイミングもプロダクトの内容も正に最適だったので、成功したと言える。しかし、彼は別の武器も隠していた。それは、古きよき世界観とも呼べる者で、Flickrはオンラインコミュニティとして成功したんだ。

バターフィールド:僕は、Flickrno強みの一つは、ユニークなカルチャーだと考えていて、実は、そのカルチャーの醸成にものすごい労力を割いていた。Flickrの共同創業者のカタリナ・フェイクは、ユーザー一人ひとりに挨拶していたんだ。チームメンバーでデザイナーのGeorge Oatesも同じことをしてくれた。だから、僕は、Flickrのあれだけ素晴らしい成功は、この本当に強いポジティブなコミュニティによって支えられていたと思う。

ホフマン:この強いコミュニティについては、同じくFlickrを成功へと導いたカタリナから、別のエピソードで。実際に話を聞く予定だ。Flickrのコミュニティは物凄いスピードで成長した。そして、2005年、彼らはFlickrをYahoo!に売却した。

バターフィールド:全てが、物凄い速さで進んだ。2004年に立ち上げて、2005年3月までにYahoo!への売却ディールがクローズした。立ち上げていた期間は1年ぐらいで、そのうち10.5ケ月ほどが、売却の交渉をやっていたね。

ホフマン:2008年、ステューアートはYahoo!を去った。彼は、実は、当時Yahoo!のボスだったBrad Garlinghouseに辞表の手紙を書いたのだけど、その内容もちょっと奇妙だけど素晴らしい内容だ。一見の価値があると思う。

こうして、ステュアートは資金と人脈と、そして実績を手にした。そして、彼は新しいプロジェクトを立ち上げた。なんと、彼は、また新しいソーシャルゲームの会社を立ち上げたんだ。その名は、Glitch。

バターフィールド:実は、その愛では、Game Neverendingとほとんど同じだった。唯一の違いは、テクノロジーで当時に比べて圧倒的によくなっていた。だから、ユーザーは、もっと創造的に、より忠実な活動をゲーム内ですることができた。

不条理な争いの世界を一切、排除したゲーム。たぶん、高飛車すぎて、知的すぎたかもしれない。Dr.Suessが、モンテ・パイソンと、Borgesに出会った感じかな。ZyngaのFarmvilleがちょうど立ち上がり始めたころでもあって、アメリカのカジュアルゲーマーに売り込むのは簡単なことではなかった。

ホフマン:彼らは、このゲームは他とは違うと考えていた。このゲームは、物凄い規模にスケールすると考えていた。

バターフィールド:僕らの視点では、僕らは、幾らかのお金があったから、そのゲーム体験をより簡単なものにしようとしていた。通信もよくなっていたしね。しかし、同時に、コンピューターの性能自体が、7,8年前に比べて100倍以上よくなっていた。そして、それらのよくなった技術を活用できるだけの有能かつ経験豊富な技術者とデザイナーが僕らのチームにはいた。

だから、考えとしては、”今回は、失敗するはずがない”と考えいた。技術が前回に比べて10倍以上よくなっているのだから、このゲームを前回の1,000倍、10,000倍のレベルで成功させることは不可能なわけがないと考えいたんだ。

ホフマン:これは、正に、オジマンディアスの逸話に出てくる警告そのものだ。

つづく。

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