マスター・オブ・スケール – InterActiveCorp会長バリー・ディラーのインタビュー#8

ホフマン:バリーの経歴は、彼をハリウッドの異端児にした。32歳で、映画スタジオの経営者となったのだ。彼のTV業界でのキャリアは、業界の人々から奇妙な目線で見られた。なぜなら、当時の業界人は、TV業界の人は、映画の人にはならなかったからだ。クラブのダンスルームから、メジャリーグの球団にリクルートされる、それぐらいわけのわかない話だった。しかし、彼が、ハリウッド業界のアウトサイダーであり続ける限りにおいては、彼にとっては、理想のポジションと言えた。

 

ディラー:僕は、当時、業界初のTV業界から映画業界に転身した存在だった。しかし、後になって、多くのTV業界の人材が映画業界に流れてきた。なぜなら、TV業界におけるコンテンツ制作活動は、十分にクリエイティブなものだった。TV業界の人材が持ち込んだ新風によって、古臭くなりつつあったハリウッド業界は刷新されて行った。

 

ホフマン:バリーの優位性は、彼の「ストーリーに対する徹底的なこだわり」にあった。彼は、ABC時代の経験から、メディアのフォーマットがなんであれ、常に共通している哲学は、ストーリーを売るビジネスであるという考え方だった。俳優や派手な演出ではない、最も重要なことは、ストーリーであると。

 

バリーにとって、この言葉の意味は、脚本に始まって脚本に終わるということだった。パラマウントの社長になった彼は、異例の脚本精査の方法を取り入れていく。花形役者を作品に入れない。花形役者に役割を与えない。これによって、映画制作に巨大な予算が不要になる。彼はこの手法を愛した。

 

ディラー:だから、プロデューサーのスタンリー・ジャフィが僕に電話してきて、”いい脚本があるんだ”と。僕は、”いいね。見せてくれ。なるほど、これは素晴らしい。こいつを映画にしよう”と。

ホフマン:その素晴らしい映画とは、”The Bad New Bears”(がんばれ!ベアーズ)のことだった。ひどいリトル・リーグのベースボールチームのことだ。ベアーズのピッチャーは、近視。キャッチャーは肥満。監督は、タバコとアルコールの依存症。この監督役は、ウォルター・マシュー。監督は、チームを再生しようと、とんでもないアイデアを思いつく。なんと、女の子をチームメンバーに加えた。まさに70年代の映画文化の象徴だ。

 

そうして、アマンダ・ウィーリッツアーは、ベアーズの新しいピッチャーになった。この映画は、典型的な「落ちこぼれが強者にかつストーリー」だ。しかし、この映画の裏には、もう一つの落ちこぼれストーリーがあった。当時、映画制作会社のパラマウントは、ひどいもんだった。

ディラー:当時、ハリウッドには7つの映画制作会社があって、パラマウントは、No.7=最下位だった。とにかく、ひどい映画ばかり作っていた。

 

ホフマン:バリーは、アマンダ・ウィーリッツアーと同じぐらい敬意を業界からえた。彼は、TV業界からきて、傑作を生み出して行ったのだから。しかし、彼にとっては、この手探りの感覚で、無限の学び手として仕事をしていくことこそ、幸福の場だった。

 

ホフマン:パラマウントの映画ライブラリは、とにかく、バリーにとってそれは正に、、、

ディラー:僕は、「何も」なかった。

ホフマン:何もなければ、ここからは上がっていくしかないってこと?

ディラー:そういうこと!笑

つづく。

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