マスター・オブ・スケール –Zyngaの共同創業者マーク・ピンカスのインタビュー – #6

ホフマン:1996年のインターネットの世界に戻ってみよう。当時のインターネットゲームは、ほんとお粗末過ぎるレベルだった。まず、ダウンロードの仕方自体が厄介。例えば、グラフィックカードがコンピューターに内蔵されていないとそもそもプレイできないとか、メモリ容量が一般のパソコンスペックでは耐えられないとか、OSも限定とか。

ピンカス:僕にとっての疑問は、単純に、人々がゲームしたいかどうかじゃなくて、もし、オンラインでのゲームも一般ユーザーにとって、ほぼフリクションコストゼロで提供できるレベルのものにしたらどうか?と言うことだったんだ。

ホフマン:マークのこの直感は、まさに正しいタイミングであって、かつ、とてつもない規模のユーザーにアクセスできるチャンスを持ったものだった。なぜなら、ちょうどFacebookが、自分たちのプラットフォームをサードパーティデベロッパに解放して、彼らがアプリを提供できる仕組みを整えたところだったかららだ。

Zyngaは、ここに参入した。間も無く、何百万と言うユーザーが、Zyngaのゲームをプレイし始めた。その光景は、まるで、興奮そそるミステリアスなカーニバルが街に到着して、興奮した市民達が、そのイベントに殺到するかのような具合だ。

スピーカー:きちんと列に並んでください。Zyngaのゲームアーケードはこちらです。驚きと興奮の世界が待ってますよ!

ホフマン:Zyngaはブームに乗った。一気に成層圏まで到達した。Zynga以外のパソコンゲームのプレイヤーはチリの中へと消えていった。

ピンカス:僕らがゲームビジネスを始める前のゲーム業界は、ユーザーが買うかどうかも分からないゲームの開発に、15億円や20億円を投じていた。一方で、僕らがリリースしていたゲームタイトルは、4週間ぐらいで作っていたものだ。

ホフマン:そして、マークは、Zyngaを、やがてアイデア・キリング・マシンのゲーム会社へと変貌させていく。Zyngaから生み出された、FarmVille、Zynga Poker、そして、Words with Friendsなど、他の競合達は、全く彼らのゲームタイトル開発スピードに追いついて来れなかった。リリースしたゲームタイトルの数も物凄い種類だった。

 

ホフマン:たとえば、Yo-yoing with Catsと言うゲームは、僕の周りで、プレイしていた友人は数人ぐらいだったかな。

同時に、Zyngaのもう一つのアドバンテッジは、伝統的なゲーム会社は、リリースしたゲームを継続的に改良すると言う手法は採用していなかった一方で、Zyngaは、このグロースハック的な手法を積極的に取り入れ行ったこと。マークは、リリース済みゲームに、色々と新機能を試していく手法を実践しており、僕は、これをゲリラテストと名付けているんだけど、その理由は、そのやり方が、とても理にかなっていて効果的だからだ。

ピンカス:僕らは、例えば、ポーカーゲームで、ユーザーがプレイ中に、新機能のリリースを短い文章のポップアップメッセージでプロモーションするんだけど、アクティブユーザーの半数が、それをクリックするなら、その新機能は継続提供する価値ありというプロダクト開発方針をとっていたんだ。

つづく。

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