「評価経済」は「奉仕経済」への橋渡し的存在として必要なもの

Sharing Economy

最近、シェアリング・エコノミーや、ブロックチェーンが話題になる中で、この「評価経済」というのが注目されていますね。

メルカリやジモティー、もしくはAirBNBやUberを真面目に丁寧に利用している人は、そのサービスにおける「トラストスコア」が上昇するので、そのサービス内での活動がしやすくなるというものですね。これは、簡単に言えば「善意的に振る舞った方がお得だということを学習するためのツール」とも言えます。

しかし、全部、自分たちが、スコアで評価される社会になってしまったら、どうでしょうか?なんか、ユートピア・ディストピア的な「におい」がしませんか?

Uberなどで僕も実際に体験したのですが、アメリカでの出張中に利用した際に、空港までの長距離移動をお願いした際に、時差ボケで途中で眠たくなって寝てしまったら、ドライバーから不機嫌な態度で起こされ、その後、スコアが下がったという体験があります。僕自身に悪気は全くないのですが、ドライバー側が、僕が途中で寝てしまったことを「無礼」と判断したようですね。僕は、「めんどくさい世の中だな」と感じました。重たいスーツケースを持って東京からの出張であることなどを会話で話をしていたので、多少、こちらの状況を察してくれるのかと思いきや、「俺が運転中に寝るとは無礼なやつだ」と判断されたわけですね。思いやりのない社会ですね。

しかし、日本でこのようなエピソードに遭遇することは、アメリカや海外に比べると僕は少ないと感じます。実は、ここが、今日の話のポイントです。

僕は、この話を「良識」「常識」で考えるのですが、日本ほど「良識」が通用する社会は世界にないなと感じます。わかりやすい例が、「落し物」ですね。例えば、僕は、昔、海外旅行中に、あるレストランで財布を忘れたのですが、その後、店に連絡しても、そのような落としものはないということで、結局、そのお店のスタッフやお客さんの誰かに持って行かれてしまいました。しかし、日本ではどうか?というと、大半の場合、お客さんやスタッフさんが、見つけてお店に保管しておいてくれることがありますよね。これが、「良識」の世界です。

一方、「常識」というのは、一般的にその社会で当たり前だと言われているルールや知識のことです。例えば、日本ではちょっと考えられないアメリカでの常識の一つに「銃」があります。

NYで生活していた2002年ごろ、現地の友人に「アメリカは、常に自己責任の社会だから、自分の身は自分で守らなければならないんだ」といって、お前も「銃を家に一つ置いておけ」と言われたことがあります。彼によると、NYも90年代に比べれは随分治安はよくなったそうですが、それでも、やはり、強盗などの事件は起きており、日本人は特にお金を持っていて人がいいから狙われやすいということを言っていました。その社会における当たり前のこと、というやつですね。銃をもつことが正しいかどうかは別で、現状、そのように手を打っておかないと問題が起きて時では遅いというやつです。

これを踏まえると「良識」は「常識」の一つ上の存在というのが見えてくると思います。この「良識」と評価経済は深く結びついていて、評価経済は、人々が「何をすれば相手が喜ぶか?」というメカニズムを経済的なインセンティブをもらいながら、学習していく世界と言えます。これは、奉仕経済へと僕らの世の中が進んで行くための「橋渡し」となる基礎編のよなものだと考えています。

なぜなら、このまま評価経済に完全に頼り切ってしまうと、僕がUberで体験したようなことが世の中に至るところで起きてしまい、スコアが低いと何もできなくなってしまう世の中になってしまうからですね。これははっきり言ってディストピアです。要するになんでも、「物事を損得感覚で捉えて生きようとする生き方」、これ自体が、世の中が息苦しくしているということに気づくと思います。

そして、この問題は、僕は「シンギュラリティの罠」と呼んでいるのですが、MIT Media Lab所長のJOIさんが、まさに本質をつく記事を出しており、その点はこちらにまとめています。

JOIさんが指摘する「アルゴリズムが増長する経済格差」 – シンギュラリティの罠とは? #1

僕は、この評価経済は、あくまで、その人との経済取引を円滑にするための「参考指標」のような形で使うのがちょうど加減が良いと考えています。そして、最終的には、その評価経済をテコに、「奉仕経済」を人々に浸透させて、世の中から「お金を消す」ことが、僕らにとって一番幸せだと考えています。

「奉仕経済」についてはこちらにまとめています。まだ読んでない方は、ぜひ読んでください。

世の中からお金をなくす方法は実はとてもシンプルという話

 

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