日本は社畜大国なのか?

僕のこのブログを始めた理由の一つは、世の中の一人でも多くの人が「地球に優しい自由な人生」を送れるよう、このブログをきっかけに、着実に勇気ある一歩を踏み出して欲しいからです。しかしながら、海外の人々と仕事をすればするほど感じるのは、日本は本当に「抑圧された社会」なんですよね。この舛岡富士雄氏の半生の話を知って、改めてそう想いました。

世紀の発明「フラッシュメモリーを作った日本人」の無念と栄光-週間現代

この記事は、こんな出だしで始まります。

“米国、シリコンバレーにあるコンピューター歴史博物館。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツといった錚々たる面々と並んで、一人の日本人の写真が掲げられている。舛岡富士雄(75歳)。あまり聞き馴染みのない名前かもしれないが、’87年、東芝の研究者時代に「フラッシュメモリー」を世界で初めて開発した人物だ。”

そう、舛岡富士雄氏とは、東芝で、フラッシュメモリーを世に送り出した天才エンジニアなのですね。まずは、このフラッシュメモリーが僕らの生活をどのように変えたかについて、理解を深めまていきましょう。

フラッシュメモリーとは?

以前、ブロックチェーンのイノベーションに関する記事で、今から50年前のパソコンと今のスマホのサイズを比較したお話をしました。

1960年代のコンピュータ

 

現代のコンピュータ

1960年代のコンピュータは、サイズは、今のスマホの何十倍も大きく、使うのに6畳分ぐらいのスペースが必要でした。その上、処理能力は、今のスマホの何十分の一以下です。このように、サイズを小さくしながら、性能を上げていくイノベーションのことを「ダウンサイジング・イノベーション」と呼びます。

フラッシュメモリーとは、このダウンサイジングイノベーションの素晴らしい事例の一つです。僕らは、今、当たり前のように何分もの動画ファイルや、高画質の写真を撮ったり、一眼レフカメラに撮ったファイルなどをInstagramやYoutubeに上げて、閲覧して楽しんでいますよね? 1960年代から見れば、とても考えられない世界です。当時のコンピュータの性能では、今の高画質動画と呼ばれる4Kの動画ファイル1分を保存するのにも6畳分ぐらいのスペースは必要でした。これをスマホレベルに保存可能にしたのがフラッシュ・メモリーの技術なんですね。

どれぐらい小さいかというと、これぐらいです。左横にあるのは、iPhoneXです。厚さはわずか1ミリ程度で、タテXヨコで、1cmX1cmぐらいのサイズです。

右側の小さいチップがフラッシュメモリー

これは、僕が持っているGo Pro Hero用のフラッシュメモリーで、容量は16GBです。今の技術では、これと同じサイズで、容量が64GBのものまであります。iPhoneなどに、実際にこのサイズのフラッシュメモリーが入っているわけです。また、昔は、このメモリー機能の部分は、パソコンのバッテリーがなくなったり故障したりしてしまった場合、このメモリーのデータも消えてしまうという実に痛い課題があったのですが、フラッシュメモリーはここの課題も克服しています。また、スマホを長時間使えるようになったのも、実は、このフラッシュメモリーのお陰です。iPhoneなどを解体すればわかるのですが、大半はバッテリーがスペースを占めています。バッテリーは、このメモリーと比べるとダウンサイジングイノーべションが遅れており、スマホの長時間利用を可能にするには、バッテリースペースを広げるしかないのですね。そこに、このフラッシュメモリーの技術のお陰で、データを記憶しておくスペースをどんどん小さくしつつかつ大容量を保存しておけるようになったので、スマホのバッテリーの持ち時間も増やすことができるようになったのですね。

フラッシュメモリーが、ものすごいテクノロジーだということが理解してもらえたと思います。

舛岡氏が東芝に入社を決めた理由は「一杯の立ち食いソバ」

舛岡氏が、就職活動をしていた頃は、日本は高度経済成長期でしたから、新卒採用をしている大手企業の人事部の羽振りもよく、中には、高級料亭の接待+車による送迎付きの会社もあったようです。超氷河期と呼ばれた時代に就職活動していた僕の時代からでは想像できない世界ですね。笑

しかし、舛岡氏が入社を決めた東芝は、上野駅の立ち食い蕎麦屋で、かけ蕎麦一杯を奢ってくれただけでした。しかし、その奢った人物こそ、舛岡氏の心を捉えた人物だったのですね。その方が、舛岡氏の東芝時代の恩師である武石氏でした。彼は舛岡氏に共にイノベーションを共に起こすことを熱く語り、舛岡氏はその武石氏の情熱に心を打たれて、東芝に入社を決めたわけです。

武石氏と共に舛岡氏は、87年に、フラッシュメモリーの開発に成功するわけですが、社内ではビジネスにならないと評価されてしまい、更に武石氏が亡くなった後、舛岡氏は社内で冷遇され、最後は、研究所付の技監という、部下も研究費もつかない、飼い殺しのような役職でした。屈辱だったでしょうね。すごくその気持ちがわかります。その後、それに嫌気がさした舛岡氏は、23年間、貢献してきた東芝に愛想をつかして、東北大の教授職に転職するわけです。

スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツと、舛岡氏を分けた命運は?

そして、舛岡氏が去った後の2000年代、ノートパソコンなど小型パソコンの需要が伸び、更にここに2001年に発売された初代iPodなど大容量ミュージックプレイヤーの市場が新たに登場したことで、フラッシュメモリーの需要は急拡大し、東芝は、フラッシュメモリーに経営資源を集中することで、莫大な収益を上げました

週刊現代の記事では、80年代時点でのフラッシュメモリーの開発は「時代が早すぎた」と結論付けているのですが、僕は、「完全に言い訳」だと思いますね。例えば、iPhoneの有名なエピソードとして、スティーブ・ジョブズが、1996年にAppleに復帰してからまもない、1998年から1999年ごろには、すでに、iPhoneまでを視野に入れた戦略的な製品ロードマップがアップル社内では作られていました。

無駄な事業を全て切り捨て、iMACなど目先の収益を稼ぎ出す事業を着実に育ててつつ、後は、研究開発を少しずつ進展させながら、iPodを市場に投入し、そこにiTunesを加え、そして、iPhoneを出す。後は、iPhoneを基軸に、Apple TVなどの周辺機器を投入していくことで、ユーザーがアップル経済圏から離れられない状況を作り上げて行ったわけです。

別の例で言えば、EV市場を作り上げたテスラのイーロン・ムスク氏がいます。テスラ・モーターズ自体は、2003年に創業されていますが、ここにPayPalを売却した資金を手にしたイーロン・ムスク氏が筆頭株主かつ経営者として参画。当時のEVは、トヨタですら「時期尚早、ハイブリッドが現実的な解」として、真剣に相手しなかったわけですが、イーロン・ムスクは、バッテリー持久時間をあまり要求しない、かつセカンドカーとしての保有価値にフォーカスし、高級スポーツカー市場から参入することで、EV市場を創り出すことに成功します。今や、EV市場は、シリコンバレーのテスラによって牽引される市場になりました。そして、出遅れた日本の自動車メーカーは、新たに水素カーで巻き返しをすると言っていますが、水素カーへのエネルギー補給は、免許が必要なほど危険な代物なんですね。僕は水素カーには全く魅力を感じないですね。日本の自動車メーカーは、一人の起業家によって完全に時代の流れを変えられてしまうだけでなく、出遅れてしまいました。

つまり、言い訳なんですよね。

不正会計を引き起こすような社内の出世競争に明け暮れる東芝の幹部たちに、スティーブ・ジョブズやイーロン・ムスクのような頭脳は全くなかったと思います。それが舛岡氏の不遇を招いたわけです。これは、僕が会社に勤めていたころにも何度も感じたことですね。結局、上司に可愛がられるのがうまい、社内政治が上手く、新しく市場を作りだすセンスの全くない人間ばかりが幹部に出世して、本当に才能を持った人材の発言や先駆的な発想は、「組織的に無視」されていく。それが何十年も続くと、「組織犯罪」として不正会計をやるわけです。東芝の中に、スティーブ・ジョブズのようなリーダーが入れば、彼は、舛岡氏のフラッシュメモリーの製品を見た瞬間に狂喜したことでしょう。

もう一つ、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツと、舛岡氏の命運を分けたポイントがあると考えています。それは、当時の舛岡氏に「起業」という選択肢がなかった不幸です。これは、以前から指摘していることですが、僕が作った、とてもシンプルな方程式である日本の「イノベーション指数」は、アメリカのそれと比べて、34倍という恐ろしい格差があります。イノベーション指数について、理解したい人は、こちらの記事を読んでください。

Googleを見たら分かるブロックチェーンにファイナリティを求める時代遅れの考え方

起業家は、人類の文明社会を前に進めるための健全な未来を創り出すリーダーです。そして、社内政治に明け暮れるサラリーマン経営者や幹部は、それを食いつぶすないしは可能性を殺す、社会にとって、ヤクザよりタチの悪い極悪非道の大バカ者です。ここをまずしっかり理解しましょう。

万人が起業家になれるわけではありません。起業家になるには、時代を捉えるマクロ思考、優れた創造力、卓越した戦略眼、強靭な精神力、リクルーティング力など、様々な能力を必要とします。しかし、Google、iPhoneやインスタグラム、Youtubeなど、僕らはそのような素晴らしい起業家たちの不屈の努力によって育て上げられた製品やサービスを上手に活用することで、地球に優しい自由な人生を手に入れることができます。ですから、僕も、このブログを通じて、一人でも多くの人が、「地球に優しい自由な人生」を歩み出すきっかけを提供できればと思っています。