自由主義と個人主義が全く別のものであると理解しないとひたすら辛い世の中になる

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タイトルの通りですが、よく知人などと話し込んでいると、自由主義=個人主義に近いような解釈をしている人が多いので、きちんと話をしておこうと思います。Wikipediaなどとよりの引用だと、みなさんの理解が、リバタリアンの創始者であるフリードリヒ・ハイエクなどの頭でっかちな学者の定義に頭を振り回されるので、もっと実際的な視点から見た意味について僕の考えを話して行きたいと思います。

自由主義とは、既存社会の不合理に束縛されない生き方

自由主義というのは、一言でいえば、「既存社会の不合理に束縛されない生き方」のことをいいます。今の社会システムからすると、率直にいえば対立する考え方です。以前の「お金が生まれた背景」(以下のブログ参照)について話をした際に、政府がなぜ誕生したかという話もしましたが、結局、今の社会には、利己的な人と利他的な人が混在しているため、利己的な人の行為によって、利他的な人が大きく損害を被らないように政府が「法律」というものを定めて、法律に反する人を警察力も含めて、抑止作用とペナルティルール(分かりやすく言えば、刑務所のこと)を課すことで、社会秩序が崩壊しないように維持しているわけです。

世の中からお金をなくす方法は実はとてもシンプルという話

しかし、その維持のためには、政府を運営するための税金が必要であり、その税金を徴収する目的もあって、住民票の登録や、パスポートなど、自分たちで自分たちを管理していく仕組みを作って行ったわけです。自由主義者にとって、これらは不快な存在です。「束縛」と行った方が良いでしょう。なぜ、今日、アメリカに住みたいと思ってすぐに移住できないのか?なぜ、アメリカで配信された動画を日本で自由にみることができないのか?自由主義者は、これらの過去の歴史が作り上げた「社会の鎖」を断つ行為をやって行きます。分かりやすい例はインターネットで、インターネットを作り育てたことで、実際に、世界中の人が自由にコンテンツを作り、そして共有し合い閲覧できる世の中ができたのです。しかし、同時に、それには新たな責任が伴うわけです。それは、そもそも利己的な人が生まれない仕組みを世の中につく上げるということです。それができなければ、結局、その自由主義者たちも今の政府変わらない現実に着地してしまうからですね。だから、Youtubeにポルノコンテンツや残虐な殺戮動画が氾濫しないように彼らは努力しているわけです。

ですから、自由主義者は、自分たちが作っている新しい社会秩序に対して責任を追っていることを自覚している人々です。自分たちが自由であるためには、自分たちが苦労を自ら買って出て、秩序ある自由社会を作り上げようとする努力をするということです。シリコンバレーの起業家たちと話をするとこの感覚が当たり前のように染み付いていると感じます。例えば、Facebook上で、フェイクニュースが氾濫しないように不断の努力を続けるのは、自分たちが自由でいるための秩序の維持を自らの労力にとって取り組んでいる、目に見える分かりやすい事例の一つと言えます。Google, Youtube、Instagramにも本質的には同じことが言えます。

つまり、真の自由主義を貫いている人というのは、自らを犠牲にして、自分の周りの友人や家族だけでなく、社会全体の人々が、自由を謳歌できるようにするために自らを犠牲にしている人でもあるということです。それはまさに利他的な自由主義とも言えるものです。

個人主義とは、自己利益の最大化しか考えない生き方

一方、個人主義は、一言でいえば「自己利益の最大化しか考えない生き方」の人です。自分さえよければいい。これが、お金の世界であれば、自分だけ儲かればいい。自分が働いている会社が儲かって、競合は潰れたらいい。これが個人主義的な考え方です。自分が自由であるために、他人は自分の犠牲になっていいんだ、と言っているのと同じですね。もしくは、自分の自分の近くにいる人たち、それは家族だけ、自由であれば良い、あとの人は奴隷のような生き方をしていても気にしないと考えるのも個人主義です。社会全体のことを全く認識せずに生きています。これは、僕からすれば自由主義でもなんでもなく、単なる近視眼的なエゴイストです。

例えば、ビットコインなどの仮想通貨ネットワークにハッキングする連中は、お金が手に入ればいい、ビットコインの市場がどうなろうと構わないと考えている人々です。ICOで詐欺を働き、個人投資家からお金を騙し取っている人々も同じです。そして、以前にも伝えた、今の仮想通貨市場は、投機家が絶大な影響力をもつ、かつてのアジア通貨危機と同じ状態であり、そのような現状を作ってしまった仮想通貨市場に証拠金取引を持ち込んでいる仮想通貨取引所事業者と、そして、そこで自分が儲けるためだけに、アルゴリズムによるトレーディングなどを繰り返している投機家たち、彼らは、自分たちがそのような行為が自分たちの首を占めていることに気づいていません。(以下の記事を参照)

仮想通貨のレバレッジ取引は結果的に自分達のクビを締める

なぜなら、そのようなハッキングがなんども続くようであれば、仮想通貨だけでなく、政府がそのようなハッカー達や詐欺ICO業者を取り締まらざるを得ない状況になる、または仮想通貨市場に厳しい規制がひかれてなかなか市場が育たなくなり、結果的に、ハッカー達や詐欺ICO業者達が望んでいた自由の社会は全くこず、政府は映画マトリックスのように、AIによる巨大な監視政府化してしまうわけです。

また、仮想通貨市場が、いつまでたっても投機家主導の市場になっている限り、一般個人の中では、「仮想通貨に手を出すと、投機家に全てお金を持っていかれ、大損する」という噂が広まってしまい、2017年の苦い想いをしたくないと一向に市場に戻ってきてくれませんし、新しいユーザーも入ってきません。

つまり、利己主義に立脚した「個人主義」を追求した先に広がるのは、奪い合いにより草木一本生えない「不毛の荒野」ということです。

僕は、「利他的な自由主義」にこそ、新しい文明の素晴らしい種が埋まっているように思います。全体をみて、自分たちがどう振る舞うことが、自分たちが自由であり続け、社会に平和がもたらされるのか?これを問いを常に自分に発しながら生きていくことが、結果的に自分たちも幸せに慣れるという理解することが、自由主義を謳歌するということだと思います。

そして、これから、世の中に貢献していく方法は、2つしかないと考えています。一つは、「自らを犠牲にして、人々が自由を謳歌するための仕組みを作るか?」、それとも「そのユーザーとなって、自由を謳歌する生活を体現することで、そこに続く人を増やす手伝いをするか?」です。この点についても、また別の機会に詳しくお話したいと思います。

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